昔の乱雑文・置き場 2006

2005年版のファイル名はRandComent2005a.htm
この2005の次のaは何だろう・・・・・・・・・・・・・ OTL
って、2004にもあるね。。。2006は堅実に最初から1ファイル宣言だ(^^;


乱雑文第44回(2006/12/29)

ちかごろはマイブームとして古代史となっているため、読む書籍についてもほとんどが古代史関係のものになってしまっている。興味関心の対象が、乱歩どころかミステリ関係からも離れてしまっている形であり、ここに書くような関連した内容も思いつかない現状である。
しかし古代とは謎に満ちた時代であり、探偵小説とは違った謎が存在する。推理する材料が明らかに不足していたり、ハッキリした解答のわからないという点が特に大きく異なるところであるが、これらを踏まえた上で、様々に想像(妄想)を巡らせるのは面白い作業であるといえる。たとえれば、興味の尽きない探偵小説を永遠に読み続けられるようなといったら言いすぎであろうか。
ついでに近況をいうならば、現在は岩波文庫の日本書紀とも格闘中である。これがまた注釈ばかりの本であり、難儀な闘いになりそうである。素直に講談社学術文庫の訳オンリー本にしておければ良かったやもしれぬ。というわけで清涼剤として、読みやすい現代探偵小説もぼちぼち読み進めようかと考えている。


乱雑文第43回(2006/11/05)

半年空けると何も書けませぬ。連続で書かないとまったく持ちませぬ。そうそう多くはないにもかかわらず読書記録を書くのだけでもおっくうでございます。4,5年前の更新ペースには驚くばかりです。1つ1つクリアしていくため、まだ反応ない件などについては大目にみてくだされ・・・。


乱雑文第42回(2006/06/04)

ショッキング。南人社版の「蛭川博士」が途中で終わっとる。詳しくは読書記録で。というのもあれなので、直接貼付
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最初に言わせてくれ。明らかに途中で終わったぞ。どういうこっちゃ。段組の仕方や破れた痕跡などはないから、ますますわかりませんぞ。実は解決篇の書籍もあるのか・・・・?
これは生殺しです。なかなか手に入らないので続きを読むことも出来ず。。。

さて、話は不良青年グループ3名は表面上は仲良くやってるように見えて、そのうち2人は特に仲間を陥れることに執着するような男であった。友人が女から借りている宝石を返せない事情があると知るや、巧みに誤魔化して友人の窮地を救ったようにみせてしまったり、友人の秘密を種に、殺人犯に陥れようとしたりなどなど。
事件の方は海浜でその宝石で関わっていた女が殺害されると言うところから展開する。そしてその殺された女の連れが癩病患者の蛭川博士の夫人であったのだ。蛭川博士は難病かつ重病で誰とも会いたがらない性質である。
ところで、秘密を持っていた不良青年グループの中のリーダ格でハーフの男は第一の殺人の手懸かりとなったカフェで活躍していた。といっても地下賭博であり、阿片の香りをも嗅げるという秘密クラブなのだ。その中で財産をかけたがる少し気がおかしいようにみえる不思議な老人とその娘と関わるが・・・。

本作は戦前の本格探偵小説の代表作にしばしば上がるだけあって、警察の訊問などや警察視点の活躍も描かれており、また伏線を張っているようにみえる点も多々見られた。しかしいかんせん連続殺人事件が発生し、いよいよ事件が急展開から解決編へ向かおうと言ったところで奥付ページなのである。本気で憤ってしまったのである・・・・。


乱雑文第41回(2006/05/08)

新青年目次録昭和20まで一気に更新終了。写すだけなのでやろうと思えばどんなコンディションでも1時間程度であるだけに放置していたのが我ながら謎である。
ところで戦後編からいきなりSHINSEINEN、Octoberなどの英語が目次に飾られており、米国統治地域の雑誌であることを如実に表しているのが注目された、戦中の、殊に敗戦濃厚後の号では鬼畜米英色に染まっていただけに、その比較は人類の悲劇の縮図である。


乱雑文第40回(2006/05/07)

甲賀郡や甲賀市の読み方が[こうか]であることをごく最近知った(大河ドラマ「功名が辻」で気付いた)。自治体名も[こうが]であると思いこんでいた私は無性に不安を掻き立てられた。なにせ作家の甲賀三郎も伝説の甲賀三郎も同様に[こうが]と呼んでいたからである。幸いに、不安は杞憂であった。戦前書物のルビや現在書物、インターネットで調べた限りはいずれも甲賀三郎は問題なく[こうが]であった。

ふと我が部屋の本棚を見てみると、昭和23年南人社発行の大下宇陀児「蛭川博士」を発見。乱歩が評論で多々触れたこともあり、確かに宇陀児の本の中ではもっとも読みたかった長篇だったが、いったいいつ手に入れていたのだろう。全く思い出せぬ。不可思議現象である。今度読もうというか、読みたい…。

今回の更新は実に約二年ぶりの新青年目次録の更新である。材料は手近に放置していたにもかかわらず、二年間…。とりあえず昭和20年までは一気に終えたいところだ。量も少ないし…。(なお甲賀三郎の世界の更新は今しばしの猶予を頂きたく思います。)

このページって、IE6で見ると、このコーナより下が崩れてますね。最近気がついた…。メイン部分でもないので、もう直しませんけど、他にも意図せぬ見え方してる所が多数あるかも知れません…ね。


たまに書くと、思いつくネタを全部書きたくなるので、とりとめが全くありません、いやはや。


乱雑文第39回(2006/04/02)

ネット上のフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)に江戸川乱歩が載っているのは珍しいことでもないだろうが、甲賀三郎が載っていたのは喜ばしいことだった。推理作家は200人しか作られていないようなのだが、どなたが作成したか存じ上げないながらも、甲賀三郎の知名度アップを目標とする人間としては嬉しい限りである。ついでに乱歩も甲賀も外部リンクが当家だけというのは本当についでであった(笑)


乱雑文第38回(2006/03/21)

保原町の消滅のこと
乱歩が終戦真際に家族を疎開させた(あとで乱歩自身も合流)ことで有名な保原町が、市町村合併で二ヶ月くらい前に伊達市となった。前の保原町も戦後の市町村合併を経たものであったとはいえ、今度の平成の合併で地方自治体としての名前が無くなってしまったのは残念である。残念な理由としては、自治体名として残っていたために私自身が間単に探すことができたという点が挙げられる。つまり今後は乱歩ファンが探しにくくならないか、と危惧したりするからだ。今ならインターネットで一発で旧自治体も探せるけど、十年後、二十年後は紛れてしまわないかが心配なのだった。

それと5年ほど昔の話。怖い物知らずで仏国ミステリー誌「813」の執筆者に協力したのだが、その誌面を見ると、日本地図上に保原町の位置が示されるなど異様に目立っていた。確か日本地図で、乱歩が関わった町(他は大阪、名古屋、名張、鳥羽とか)のだいたいの位置を教えた記憶がある。思えば身の程も弁えずあまりに恐ろしいことをしたものだ。今なら絶対断っているだろう。ともかくももし仏国でHobaraが有名だとしたら私の仕業も混じっているかもしれない(笑)。


乱雑文第37回(2006/03/13)

ここの「何でも掲示板」と甲賀の世界掲示板は長期にわたって悪意の固まりである自動スパム書込の攻撃に曝されていた。そこで当たり前の利用者には多少不便を生じさせてしまうが、防衛できるよう変更した。その際、参考にしたのが掲示板改造支援サイト。同様に困ってる方は参考にされたし。乱歩愛読者には悪人はいないが、世の中には、欠片ほどの信念もセンスもない悪人が多いのが悲しいのであった。


乱雑文第36回(2006/01/22)

甲賀三郎の小説、随筆が載っている「大衆文藝」(昭和十五年)四冊を手に入れた。随筆はご子息が亡くなられて間もなく寄稿されたものだが、六十年以上も前であるにも関わらず、今と変わらぬ物悲しさがまざまざと伝わってくる。今も昔も変わらない。そしてその後を考えると、色々な意味で感極まるばかりではないか。

ところで、私はあまり乱歩の古書は集めていない。甲賀のものがほとんどである。それはなぜかというと明々白々だ。それは古書でしか読むことが出来ないから甲賀関連の古書を収集するということなのだ。つまりまず読みたいという欲求が発生するから値の張る古書でも手に入れるということになる。


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