登場人物
須永時子,鷲尾老少将,須永中尉
主な舞台
特に記載無し
作品一言紹介
時子の夫は、いわゆる名誉の戦傷というもののため、なんと両手両足が犠牲になり、つまり胴体と頭だけで、更に口も耳も不能という五感の中で視覚と頭・胴体の触覚のみが正常という片輪ものだった。時子は世話をするうちに、気がおかしくなりそうになったものなのか、徐々にだんだん残虐性を得ていき・・・・・・・・。
著者(乱歩)による作品解説(ちくま文庫引用)
「新青年」昭和四年一月号に発表。いわゆる私の初期の短篇の代表的なものの一つである。これは雑誌「改造」にたのまれて書いたものだが、内容がエロな上に、その頃タブーとなっていた金鵄勲章を軽蔑したような文章があったので、いくら伏せ字を多くしても、当時その筋から睨まれていた「改造」にはとてものせられないというので返されたのを「新青年」に廻したのである。「新青年」は娯楽雑誌だから、それほど神経質にならなくてもよかったのである。でも、実はこういうわけで「改造」にのらないのだと伝えると、「新青年」も恐れをなして、伏せ字だらけにして発表したものである。「新青年」に発表の際は、編集者の希望で題名を「悪夢」と改めた。
この小説が発表されると、左翼方面から称賛の手紙が幾通もきた。反戦小説としてなかなか効果的だ。今後もああいうイディオロギーのあるものを書けというのである。しかし私はこの小説を左翼イディオロギーで書いたわけではない。この作は極端な苦痛と、快楽と、惨劇とを書こうとしたもので、人間にひそむ獣性のみにくさと、怖さと、物のあわれともいうべきものが主題であった。反戦的な事件を取り入れたのは、偶然それが最もこの悲惨を語るのに好都合な材料だったからにすぎない。
太平洋戦争にはいる直前に、私の多くの作は一部削除を命じられたが、全文発売禁止となったのはこの「芋虫」だけであった。左翼に気に入られたものが、右翼にきらわれるのは至極もっともな話で、私は左翼に認められたときも喜ばなかったように、右翼にきらわれたときも別に無理とは思わなかった。夢を語る私の性格は、現実世界からどんな取り扱いを受けようとも、一向痛痒を感じないのである。
「芋虫」は私の代表作の一つと見なされていたので、創元社の豪華本「犯罪幻想」をはじめ私の代表的短篇集には必ず編入したし、ジェームズ・ハリス君訳の英訳短篇集
Japa-nese Tales of Mystery and Imagination
にも The Caterpillar と題して編入されている。また、一九五四(昭和二九)年パリの
Noir Magazine (黒雑誌)という探偵小説雑誌にLa
Chenille Jaune と題して掲載せられた。 Jacqueline
Souvre という婦人がハリス君の英訳から仏訳したものである。