「恐怖王」が残したもの 前編「恐怖王」編
乱歩の通俗長編の中でも、もっともつまらない作品ナンバー1として『恐怖王』を選んだとしても、それほど非難を浴びることはないだろう。
発端編となる死美人との婚礼、死人が生きているように家族を誤認という突飛な犯罪までは良くできたものであるのだが、その後がまるで無茶苦茶なのだ。
確かに米粒の文字や飛行機による「恐怖王」の宣伝行為そのものは非常にコミカルで笑える演出であるかもしれず、無条件に不満を言うつもりはないが、なんと言ってもロイド眼鏡とゴリラ男の立ち位置のアンバランスが本事件を狂わせてしまっている。
あまりにも荒唐無稽なのはともかくとして、設定の繊細さが絶望的に欠け、冗談のような存在にしか映らなかったゴリラ男が実質的な怪人役を務めてしまうことになったのがあまりにも痛い。本来の「恐怖王」役だったロイド眼鏡の影が消えいるくらいに薄くなりすぎたのは大きな失敗だっただろう。結局魅力に乏しく品の無さだけが目立つゴリラ男が最後まで主役でありつづけてしまい、「恐怖王」とは一体何だったのかという印象を残してしまうことになってしまった。
その結末の不味さは、この作品の評価にとどめを刺す結果となった。
「恐怖王」の正体を知るに及んだ際、実は先述の評価ポイントだった第一事件の死骸婚礼こそがもっとも長編「恐怖王」の評価を下げてしまう要因になったのは皮肉な話だ。
主人公・大江蘭堂の恋人、花園京子殺しだけならば、「恐怖王」の動機としては、恋の嫉妬だったという着目すべき点が出てきたかもしれない。しかし第一事件の死骸婚礼という何の脈絡もない事件が加わってしまったがゆえに、「恐怖王」の動機は全く謎々となってしまったとしか言えないのだ。
このことは長編作品『恐怖王』にとって大きな不幸だった。(以降、
後編「妖虫」「人間豹」編に続く)
(2009年7月9日記す)