第一回 素人の語る、そもそも探偵講談とは!?


 最初に結論を言わせて頂こう。全部が全部とまでは言わないが、総じて講談は面白い。素晴らしい。一度は聴くべきである。殊に乱歩に興味を持つ方ならば、探偵講談は体験して得するばかりのイベントと言えよう。もし首を傾げられるならば、とにかく一度でも体験して頂ければ、それが真実、という事に首肯して頂けるはずである。少なくとも徹底的に損した気分にはならないはずだ。

 そこで、いきなりだが、探偵講談、って何者? と思われる方が大半であろう。かくいう私にした所が、ほんの半年前までは全くイメージの出来なかった。というのも、"探偵"という我々が親しんでいる言葉に、"講談"という全く謎の二文字がくっつく事で、まるで異世界の催し物のように目に映ってしまったからであり、余所の掲示板などでしばしばその単語を見ても、恥ずかしながら奇妙な感じしか抱きえなかった。当時の私は落語の親戚という感覚すら思い浮かばなかったのだ。なにせ落語すらもろくに聴いた事がなかったのだから。どんな間接媒体、TVですらも。
 
 しかし実際に半年前(平成14年3月の事)、乱歩の「魔術師」が講談化され、そのお誘いを頂いた事で、私はその空間にお邪魔することとなった。そしてその魅力を存分過ぎる位に味わう事が出来た。その感想については、また後日に記させて貰うとして、"講談"という固有名詞について、少し簡単に記してみよう。

 で、"講談"とは、と行きたい所であるが、探偵講談すらも三度しか聴いた事のない私である。言葉足らずどころか、見当違いの事を書いてしまうかも知れないが、とりあえず私が現時点で持っている"講談"とは、について書く事にする。

 端的に言えば、それはラジオドラマみたいな感じである。語り手の講談師が話を語って聴かせるのだから、まぁ、当然と言えば当然だ。

 しかし当然、単純にラジオドラマそのものというわけではない。まずドラマと決定的に違いのは、探偵小説のトリックではないが、一人X役である所だ。当たり前だが、講談師は一人で物語を構成させるのである。この点で、語りに似ているし、小さい頃に語り読んで聞かせて貰うストーリーにも近いかも知れない。

 とは言え、その講談独特の話の進め方は巧みな所がある。時と場面の展開展開がスムーズと言うか、何というか、とにかく巧妙なのである。聞き手に妙な違和感を与えず、自然に話の次元を展開させる。

 また別の面で面白い所は笑いを取るためのユーモアを交えるのである。私が聴いた上方講談では、それは大きなウエイトを占めているように思えた。だから所謂シリアス過ぎる話は講談には向かないのではないかとと思われる。が、脱線を付加する技巧でコミカルさの演出も魅せてくれるというように、一筋縄で判断行かぬというのも事実であろうか。

 おっとと、書き忘れる所だったが、探偵講談の聴く場。未体験時代の私は、漠然と畳に正座して座布団の上で(お寺の本堂で説明を聴くように)視聴するのだろうか? とか妙な一歩引きかねない想像をしていたものだが、実際は何てことはなかった。パイプ椅子に座って高座を視聴するというものであり、類似した物を思い浮かべるなら、大学の催しものに近い感覚である。そう、私が友人の演劇を観た時とほぼ同じような雰囲気だった。決して厳粛ではない。そこは明朗ある場なのだ。

ということを蛇足までに記しつつ、これが講談を三度しか聴いた事のない私が伝える講談像である。(2002年8月記す)

【追記】アップする前に、四度目の九月の探偵講談にお邪魔したが、特に書き変える必要性は無さそうである。とにかく探偵講談、探偵小説ファンなら経験する価値が非常に高いと言う事なのだ。(2002年9月末追記す)