第二回 乱歩講談雑感


  そもそもの探偵講談とは、聞いた所によるだけの私の拙い知識によれば、何でも最盛期の明治においては犯罪実話を取り扱う事が多かったそうだ。それがどんなものかは、私は語る資格も持たないが、今日で言うニュース的意味合いもあったという。

 とたったそこまで八月のうちに書いていた文章だったのだが、ここ忙しさにかまけて止まって放置してしまっていたこの感想。それが九月講談を聞き終わった後に書き繋ぐ事になろうとは、些か放置が長かったと言えるだろう、いやはや汗は出はしないが、第一回も書いただけでアップはしていなかっただけに、やっぱり汗を拭き拭きしておかねばならないような心境だ。

 と感想には関係ない事はともかくとして、講談の感想を一気呵成に書いていこうではないか。

 今まで私が三月、五月、七月に聴いた探偵講談のメインディッシュは乱歩乱歩乱歩だったので、先ずは乱歩講談についての感想を軽く書いてみよう。

 で、「魔術師(序)」から。これは乱歩の「魔術師」の講談化であり、初の乱歩講談という名誉を勝ち取っている作品だ。この最後に付いている(序)の示すとおり、「魔術師」全篇が語られた訳ではなく、序盤の明智小五郎が魔術師の船舶から脱出し不明になる辺りまでが語られた。そう、その続きが気になる所で打ち切りなのだ。初めて講談を聴いた私であったから、少々驚きもしたが、なんでもこのような長篇作品の講談化では連載の形を取ってきたのだそうだが、いかんせん聞き手もそうタイミング良く毎回聴けるほど余暇があるわけでもない等、現在では現実的ではない。と言う事で次回がある事を仄めかしつつ「魔術師」の序章は終幕し、次回は諦めるしかないのだろう。が、乱歩講談の中でもっとも美事な出来だっただけに、いつの日にかの続編、あるいは部分的に別の箇所が講談化されるのを期待したい所なのである。

 その「魔術師」の美事な出来というのも、何でも乱歩原作「魔術師」自体が講談の技巧を取り入れているというのも大きな一面にあるらしい。時と場所の展開が劇的に進んでいくのがそれだったように記憶しているが、つまり乱歩原作「魔術師」自体がまるで講談のテキストであるかのような感じであるから、その講談化は、まさに水魚の交わりだったと言えたのだろう。

 さて、お次は「二銭銅貨」についてだが、これはやはりテンポが今一つで、講談化に向いていない作品だったようである。例えば、羨ましがられるあの泥棒の活躍についての大筋がいきなりメイン舞台に現れるわけだが、我々のように原作をはっきりと頭に刻み込んでいる人間ならともかくとして、原作をうろ覚えに知っていたり、全く知らないお客、つまりこの乱歩講談の場合だと、乱歩でなく、あくまで講談そのものが目当てのだったとしたら、いきなりの謎の展開に付いて来れなくなるかも知れない。そしてなおの暗号文。

 むろん乱歩ファンの私は興味深く拝聴したが、むしろ同時公演の「雷電の初相撲」のスムーズなテンポの良さ、展開の分かりやすさ等のまさに講談調にベストマッチした好作品とのコントラストが余りにも大きかったせいか、今一つ印象に残っていないのである。ゆえにこれは近々の名張公演で再確認したい所と言えるだろう。

 さて、最後に「乱歩一代記」について、これは昨今の本格探偵作家の芦辺拓さんによる書き下ろし原作である。話の内容としては、池袋の乱歩最後の栖となった家に引っ越して間もなく、本格長篇「悪霊」の連載失敗、本格中篇「石榴」も今一つの世評で、意気消沈していた乱歩。その乱歩邸に明智小五郎のモデルと言う講釈師・神田伯龍が「乱歩一代記」講談化の許可を求めて訪ねるが…、と言う展開で、それを通じて起こるある奇怪な事件が、行き詰まりの乱歩に新境地を切りひらかせるというファンタジックな内容で面白い着想で出来ている。当時少なからぬ論争を呼んだ矛盾点も修正されているとの事で、バージョンアップ版を聴ける名張公演が楽しみなところだろう。

 最後大急ぎで書き連ねてしまった。これも序盤で止まり、長いブランクの後、更に「魔術師」の途中で筆が止まり、ここのブランクも二週間…。それでも名張公演聴く事で印象が上書きされてしまうまでに書き終わろうと思い、書き終わったのが、結局前日明け未明になった次第で、まぁ、そういうわけで大急ぎとなったわけだ。管理人の物ぐさが発揮されておるようで、汗顔の至りとしか言えまい。ともかく第二回はこれで幕と言う事で、次回もいつかは分からないが、第三回までお待ちを。(2002年10月13日記終)