三角館の恐怖

登場人物(ダブり含む)
蛭峰健作,蛭峰健一,蛭峰丈二,穴山弓子,蛭峰健作家女中二人,蛭峰康造,蛭峰良助,鳩野圭子,鳩野芳夫,猿田老人,蛭峰康造家女中二人,森川五郎,篠警部(警視庁捜査一課係長)所轄署の主任,その他警察関係者など

主な舞台
中央区の隅田川築地付近の三角館,銀座の雄鶏亭,三角館近くのレストラン,銀座の花籠亭

作品一言紹介
ロジャー・スカーレットの「エンジェル家の殺人」の翻案。三角館は元々一つの家だが、双生児の兄弟によって左右まっ二つに分か絶れていた。というのもどちらか長生きした方が莫大な先祖の遺産を継ぐ権利が与えられるという状況が双生児の心に仲違いを生んだからである。弁護士の森川五郎が三角館に向かった理由もそれであり、事件に巻き込まれていくのだ。この森川五郎をワトスン役、篠警部をホームズ役とするこの本格は読者への挑戦も含む本格ミステリである。ただ犯人当ての難易度はごく簡単なレベルであり、何よりもいわゆる乱歩らしさ、つまり乱歩の文章の醸し出す魔力のようなものはごくごく稀薄であるのが、本作品の最大の欠点であろうか。

章の名乱舞(参照は旧角川文庫)
【異様な建物】【鏡中影】【奇人の遺志】【二老人】【消える焔】【守銭奴の倫理】【幽霊】【君が犯人?】【名探偵】【片輪者】【足跡の謎】【深夜の散歩者】【紙幣の秘密】【幽霊再現】【いまわしき前兆】【意中の人】【猿類の歌】【怪人現わる】【幕間の挨拶】【唯一の目撃者】【惨劇の前夜】【名探偵の焦慮】【エレベーター】【不可能事】【柄のない短剣】【エレベーターの抜け穴】【フラスコの手鞠】【幽霊犯人】【再び手提金庫】【四重唱】【罠】【告白】【脅迫状】【禅問答】【猿田犯人説】【戦闘準備】【深夜の冒険】【怪人出現】【格闘】【異様な動機】

※(異本たる春陽堂バージョンに於ける異章題)
消える焔→【消える炎】,君が犯人?→【きみが犯人?】,片輪者→【かたわ者】,足跡の謎→【足跡のなぞ】,幕間の挨拶→【幕間のあいさつフラスコの手鞠→【フラスコの手まり再び手提金庫→【ふたたび手さげ金庫】,→【わな

著者(乱歩)による作品解説(河出文庫引用)
 光文社の「面白倶楽部」昭和二十六年一月号から十二月号まで連載したもの。この長篇はロージャー・スカーレットの「エンジェル家の殺人」をわたし流に翻案したものである。私は戦争中の昭和十七、八ごろ、名古屋の探偵小説翻訳家、評論家、井上良夫君(故人)と、英米探偵小説読後感の長い手紙のやりとりをつづけていた。その手紙を、私はカーボン複写便箋に書いたので、控えの方が今でも手元にあり、それらの大部分は、戦後、中島河太郎君の個人雑誌「黄色の部屋」に連載せられた。この文通の十八年二月十日の控えに、「エンジェル家の殺人」の原本の読後感が、興奮した文章で書きつけてある。その手紙は原稿紙三十枚分もある長いもので、ポーの「マリー・ロージェ」について、ヴァン・ダインの諸作の再評価、カーの「三つの棺」とフリンの「途上殺人事件」の感想などのあとに、「スカーレットの『エンジェル家の殺人』に感嘆したる次第」という見出しで、長い感想を書いている。その文章のはじめの方だけを左に引用する。
「さて、取っておきの報告です。『エンジェル家』には感嘆ののほかありません。十年来、貴兄に読ませてもらった英米の未訳作品中、これまでの二大収穫は「赤毛のレドメイン家」と「Yの悲劇」でしたが、今ここに第三の収穫を加えたわけです。むろん小生のベスト・テンに入れます。同じスカーレットの「白魔」(「新青年」昭和七年後半に連載)に余り感心しなかったのは確かなのですが、これと似た作品とすれば、感心しなかったのがどうも不思議です。再現してみたいと思います。一月以来の初読、再読ひっくるめて、巻をおくあたわざる興味と興奮を覚えたのは、「僧正殺人事件」「赤毛のレドメイン家」「黄色の部屋」「Yの悲劇」の四作でしたが、「エンジェル家」にも同じ興奮を感じたのです」
 あとになってみると、この感想は少し買かぶりで、「面白倶楽部」に毎月書いているうちに、原本の文章があまりよくないこともわかり、その後の私のベスト・テンには入れていない。しかし、初読の感銘はこの引用文の通りであった。
 戦後、私に連載ものを書かせようとして最も熱心に来訪してくれたのは光文社の「面白倶楽部」であった。昭和二十五年ごろには、その執筆依頼がいよいよ急になったので、私は翻案ものなら書きたいのが一つあるが、それには原作者の承諾を得てくれなければ困るという難題をふきかけたのである(当時はまだ占領下にあり、今とちがって翻訳が非常に困難であった)。ところが、光文社は決してあきらめないで、原作者と原出版社に文通して、承諾を取ってくれた。こうなれば、もう書かないわけには行かなくなった。
 この長篇は読み直してみると、それほどでもないが、トリックはたしかに面白い。第二の殺人のエレベーターのトリックは機械的で面白くないけれども、第一の殺人の意外な動機と、小道具使いの妙は、やはり捨てがたい。最後のくら闇の地下室での待ち伏せの場面には、私はほんとうにドキドキさせられたものである。


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