猟奇の果


登場人物(ダブり含む)
青木愛之助,品川四郎,招魂祭の見物人及び関係者たち,もう一人の品川四郎?,銀座裏カフェのサンドイッチマン,秘密な家の主婦こと四十がらみの品のよい丸髷婦人,小女,秘密な家の客たち,円タクの運転手たち,鶴舞公園の奥さん,青木芳江,青木家婆や,浅草公園の人たち(銀座型青年,若い栄養不良な自由労働者,無学な年長者,ハーモニカ少年,河童少年たち),波越警部,明智小五郎,A新聞社会部記者と写真部員,宮崎常右衛門邸の泥棒三人,赤松紋太郎警視総監,通俗科学雑誌社の社員(山田,村井,金子),宮崎常右衛門,宮崎夫人,その小間使い,書生の青山,宮崎雪子,職工風の男,内閣総理大臣・大河原是之,車夫,刑事部長,総監室の受付係,大河原俊一,大河原美禰子,大河原邸の乞食娘,大河原家書生,首相官邸の門番,野村秘書官,斧村錠一,竹田,大川博士とその二人の助手,その他警察関係者など

主な舞台
九段の靖国神社,九段坂,ある百貨店,本所の宝来館という映画館,銀座裏のある陰気なカフェ,麹町の三浦という家,神田区東亜ビル三階にある通俗科学雑誌編集部,赤坂山王下,名古屋(鶴舞公園裏手の青木の家、鶴舞公園)、沼津駅,品川の家,浅草公園,池袋の洋館,吉原,牛込の江戸川分園の西のはずれにある大滝,警視庁,麹町区の淋しい屋敷町,大河原邸,首相官邸

作品一言紹介
顔・声・指紋に至るまで全く同じ姿の人間、この恐怖に苛まれるのがこの物語である。猟奇の徒であり、空想家の青木愛之助は友人の品川四郎とそっくりの人間を見つけ観察する事から、この事件は発展していく事になる。そして猟奇の果! 確かに青木の猟奇趣味の果ては恐るべきものだったのだ。さて、それにも関する事だが、後編「白蝙蝠」ではこの奇々怪々で政治経済等々・国家転覆寸前にまでも及ぶことになった恐るべき悪魔の機知が発揮されるのである。その白蝙蝠の野望に明智小五郎よ、如何に世界を救うと言うのだ!?
ついでに私見として蛇足までに、乱歩・自注自解にもあるが、仕方がないとは言え、前半と後半がアンバランスであり、特に青木夫妻の心理が全然分からないのと、解決への過程にはもう少し説明を要するのでは? と快刀乱麻過ぎる展開に突っ込みたい点があることをつけ加えておこう。
 なお、そのこの「猟奇の果」には圧倒的なヴァリアントが存在する。その点については、下記、章の名乱舞の最下にある備考を参照して欲しい。誰もが指摘したくなるバランスの悪い本篇だが、当初の構想通りの展開で結末をつけているだけに、当然のごとくヴァリアント版の方がまとまり良くなっている。

章の名乱舞(参照は旧角川文庫)
前篇 猟奇の果
【はしがき】【品川四郎熊娘の見世物に見とれること】【科学雑誌社長スリを働くこと】【青木、品川の両人場末の映画を見ること】【この世に二人の品川四郎が存在すること】【愛之助不思議なポンビキ紳士にめぐり会うこと】【平家建ての家に二階座敷のあること】【愛之助暗闇の密室にて奇妙な発見をなすこと】【愛之助両品川の対面を企てること】【両人奇怪なる曲馬を隙見すること】【自動車内の曲者煙のごとく消えうせること】【品川四郎闇の公園にあいびきすること】【夕刊の写真に二人ならんだ品川四郎のこと】【青木品川の両人実物幻燈におびえること】【持病の退屈がけし飛んでしまうこと】【奇蹟のブローカーと自称する美青年のこと】【血みどろの生首をもてあそぶ男のこと】【愛之助己が妻を尾行して怪屋に至ること】【愛之助ついに殺人の大罪を犯すこと】【殺人者自暴自棄の梯子酒を飲み廻ること】【愛之助ついに大金を投じて奇蹟を買い求めること】
後篇 白蝙蝠
【第三の品川四郎】【一寸だめし五分だめし】【今様片手美人】【名探偵明智小五郎】【マグネシューム】【赤松警視総監】【現場不在証明】【白い蝙蝠】【恐ろしき父】【不可思議力】【幽霊男】【名探偵誘拐事件】【トランクの中の警視総監】【慈善病患者】【乞食令嬢】【麻酔剤】【露顕】【悪魔の製造工場】【靴をはいた兎】【人間改造術】【大団円】

※(異本たる春陽堂バージョンに於ける異章題)
前編 猟奇の果
品川四郎熊娘の見世物に見とれること→【品川四郎クマ娘の見せ物に見とれること】,この世に二人の品川四郎が存在すること→【この世にふたりの品川四郎が存在すること】,愛之助不思議なポンビキ紳士にめぐり会うこと→【愛之助不思議なポン引き紳士にめぐりあうこと】,愛之助暗闇の密室にて奇妙な発見をなすこと→【愛之助くらやみの密室にて奇妙な発見をなすこと】,両人奇怪なる曲馬を隙見すること→【両人奇怪なる曲馬をすき見すること】,自動車内の曲者煙のごとく消えうせること→【自動車内のくせ者煙のごとく消えうせること】,品川四郎闇の公園にあいびきすること→【品川四郎やみの公園にてあいびきすること】,夕刊の写真に二人ならんだ品川四郎のこと→【夕刊の写真にふたりならんだ品川四郎のこと】,青木品川の両人実物幻燈におびえること→【青木品川の両人実物幻灯におびえること】,持病の退屈がけし飛んでしまうこと→【持病のたいくつがけし飛んでしまうこと】,奇蹟のブローカーと自称する美青年のこと→【奇跡のブローカーと自称する美青年のこと】,愛之助己が妻を尾行して怪屋に至ること→【愛之助おのが妻を尾行して怪屋に至ること
殺人者自暴自棄の梯子酒を飲み廻ること→【殺人者自暴自棄のはしご酒を飲みまわること】,愛之助ついに大金を投じて奇蹟を買い求めること→【愛之助ついに大金を投じて奇跡を買い求めること
後編 白コウモリ
白い蝙蝠→【白いコウモリ】,乞食令嬢→【こじき令嬢】,靴をはいた兎→【くつをはいたウサギ

備考
昭和二十一年の日正書房「猟奇の果」は、【後篇 白蝙蝠】はなく、【愛之助ついに大金を投じて奇蹟を買い求めること】の次の章に、そのまま【老科学者人体改造術を説くこと】【猟奇の果の演出者最後の告白を為すこと】が続き完結するというヴァリアント版である。ある意味、現実的完結を迎えるが、それはまさにトリックスター、狂人の果だったのだ。猟奇の果、それは猟奇の行く付く限界点、青木愛之助にそれを体験させた恐るべき狂人・・・。流布版の赤松警視総監よ、あなたは偉い。

著者(乱歩)による作品解説(河出文庫引用)
 博文館の「文芸倶楽部」昭和五年一月号から十二月号まで連載した。私は自分の作品の筋をよく覚えているものと、ほとんど忘れているものとある。「猟奇の果」は忘れている方の一つで、校訂のために三十年ぶりに通読して、こんなことを書いていたのかなあと、後にしるすような意味で、ふしぎな感じがした。したがって、この解説文は少し長くなりそうである。
 この小説は私の多くの長篇の中でも、畸形児のような珍妙な作品である。前編と後編にわかれていて、それがまるで調子のちがった話になっている。当時の「文芸倶楽部」編集長は多分横溝正史君だったと思う。連載をはじめるとき、横溝君から依頼を受けたかどうかは記憶がないが、中途で改題するときには、たしかに同君に相談し、半ば同君の勧めによって、調子を変えるようになったのだと覚えている。
 前篇「猟奇の果」の方は「闇に蠢く」や「湖畔亭」などと同じような心構えで書きはじめたのだが、題材が充分醗酵していなかったので、なんだかモタモタして、ほとんど効果が出ないうちに、終局に近づいてしまった。全く同じ顔の人間が二人いたというのは、実は科学雑誌社長の猟奇の果の手のこんだいたずらにすぎず、最後にその種あかしをするという、私の短篇「赤い部屋」に類する着想であった。ポーの「ウィリアム・ウィルソン」テーマを、逆にトリックとして使った探偵小説をこころざしたのである。
 ところが、それがうまく書けないで、もう種明かしをしないでは、間が持てなくなった。しかも、そういう結末だということは、書き方がまずかったために、読者に感づかれてしまっている。私は途方にくれた。第一、一年連続という約束が、半年で終りそうになったのだから、編集長の横溝君にも迷惑をかけるわけで、私は困ってしまって、横溝君に電話で相談した。
 横溝君は作家でもあったのだから、私の行きつまっている気持はよくわかる。そこで、こういうことを提案してくれた。とにかく半年でやめられては困るから、ここで一つ気を入れかえて、題名も変えて、もっと派手な小説にしてはどうか、つまり、講談社の雑誌に書いているような、ルパン式の冒険ものにしてはどうかというのである。私も、そうすれば、調子は一変するけれども、書きつづけられないことはないと思ったので、結局、横溝君のサゼッションに従って、題名も「白蝙蝠」と改め、最初の「いたずらだった」という落ちを、「人間改造術」という着想に変え、荒唐無稽な童話ふうのものにしてしまったのである。
 私はこの小説の校訂をして、三十年ぶりで自作を読み、殊に後半の方はすっかり忘れていたので、私という人間は、こんなに早くから「人間改造術」のことを考えていたのかと、苦笑を禁じえなかった。「人間改造術」は「一人二役」や「隠れ蓑願望」の最も極端な形なのである。私を評する人が「彼の作品は大部分が一人二役かその変形にすぎない」と言ったのは当っている。私は生来「隠れ蓑願望」の異常に強い男なのだ。一人二役のいろいろなトリックを考えたのもそのためだし、「覗き」心理の作品の多いのもそのためである。「隠れ蓑願望」のうちでも「人間改造術」ほど理想的なものはない。私はこの術に惹かれることが強いので、「猟奇の果」でそれを書いたことを忘れてしまって、そのあと二度も同じ術について詳説している。その一つは昭和十二年に「講談倶楽部」に連載した「幽霊塔」で、これは黒岩涙香の飜訳の筋をいくらか変えて、わたし流の文体で書いたものだが、その終りの方に「容貌改造術」の場面があり、私はそれを原作よりも科学的にして、「猟奇の果」と同じような整形外科手術のことを書いたものである。もう一つは、戦後昭和二十五年度の「宝石」にのせた「探偵小説に描かれた異様な犯罪動機」のうちの「逃避」の犯罪の例として、アメリカの「大統領探偵小説」の梗概を詳しく紹介した(「続幻影城」に収む)。この合作小説に惹かれたのが、やはり整形外科手術による「人間改造術」であった。その部分をアントニー・アボットが、いかにも科学的に書いているので、私はいよいよこの術の可能性を信じるようになった。今から二十五年も前に、アボットはコンタクトレンズによる眼球変装術を書いているが、これなんか私の全く気づかないところであった。
 そういうわけで、この「猟奇の果」には、私の好みの「人間改造術」が早くも現われていること、また失敗ながら、ポーの「ウィリアム・ウィルソン」テーマの逆を書こうとしていること、この二つが組み合わされて、変てこな、畸形な、不具者のような小説になっていることが、三十年後の私自身には、かえって面白く感じられたのである。

比較的最近の収録文庫本
角川文庫・江戸川乱歩作品集『地獄の道化師』
講談社文庫・江戸川乱歩推理文庫『猟奇の果』
春陽文庫・江戸川乱歩文庫『猟奇の果』


(注意)残念なことに角川文庫と講談社文庫は品切・絶版中・・・


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