パノラマ島奇談


登場人物
人見広介,菰田源三郎,人見の大学同窓の新聞記者,T市の百姓たちと子どもたち,角田老人(総支配人),医師関係者たち,菰田千代子,千代子の婆や(乳母),パノラマ国のある詩人,北見小五郎(文学者),東小路伯爵夫人,その他パノラマ国の住人(雇われ人)たち,その他菰田家関係者たち

主な舞台
M県(三重県?)のI湾(伊勢湾?)が太平洋に出ようとするS郡(志摩郡?)の南端にある離れ小島こと「沖の島」即ち「パノラマ島」,東京の山の手にある学生街の友愛館,M県(三重県?)T市(津市?)<菰田家,菰田家お墓周辺,T駅>,東京駅,三浦半島のどことも知れぬ漁村,大船駅,船中など

※(ちょっとした“うんちく”)
三重県T市って、岩田準一もいることだし鳥羽では?と思う人がいるかもしれないが、当時は鳥羽町であり、市政は戦後(昭和二十九年十一月)のこと。なお、旧鳥羽町というのは、現在の鳥羽市の海沿い北の一角に過ぎない。一応言っておくと、津市の市政は明治二十二年四月。大正十五年当時は唯一のM県T市である。

作品一言紹介
主人公の人見広介は芸術を極限まで引き上げたこの世の楽園を夢見ていた。しかし現実は三文作家でかろうじて生計を立てるほどの貧乏生活を続けていたため、それは夢のまた夢というような空想の楼閣であった。しかしひょんなことから学生時代に双子と渾名されたほどよく似たお金持ちの菰田源三郎が病死したことを知り、世にも恐るべき計画を立て始める。その究極の美を追究したパノラマ国の驚異的な仕掛けとは一体どのようなものだったか・・・・・・、そしてその果ては・・・・・?

著者(乱歩)による作品解説(ちくま文庫引用)
「新青年」大正十五(昭和元)年十月号から昭和二年四月号まで五回に連載(二回休載)した。当時の同誌編集長は横溝正史君で、同君の巧みな勧めによって執筆したもの。「新青年」には初めての長篇であった。掲載中はたいして好評もなかったが、あとでだんだん褒める人が出てきた。殊に萩原朔太郎さんに褒められたのが、強く記憶に残っている。この作は戦後、東宝劇場でミュージカル・コメディとして上演されたことがある。それは同劇場の昭和三十二年七月興行を、これ一本立てにしたもので、菊田一夫作詞、演出、榎本健一、トニー谷、有島一郎、三木のり平、宮城まり子、水谷良重などの出演であった。

新青年の記事について
以下に、「パノラマ島奇談」についての興味深い内容のため、パノラマ島奇談連載時の「編集後記」に該当する「新青年」の記事を引用していきます。
パノラマ島奇談連載第二回掲載号の「新青年」大正15年11月号より、巻末の「編集局より」の乱歩関連記事を一部引用(※新字体の新仮名遣いに調整)する。
森下雨村らしき(雨村生)署名の文章はまず全部省略し、まず(神部)署名の文章から下記に記す。

◆十月増大号の評判はすばらしいものだった。多数の読者諸君から激賞賛美の手紙を寄せられたことをここに厚く感謝します殊に江戸川乱歩氏の「パノラマ島奇譚」は、第一回目にしてすでに読者を魅了したかの巻がある
◆それにしても一読者からの投書には、パノラマ礼讃のあまり「この名作全篇を一度に掲載しないような、物惜しみの編集者よ!地獄へ行け!」とあるにはいささか驚いた。
◆事実、原稿が記者の手許にあるのなら、腹も切ろうが、続稿は作者乱歩氏の幽玄はかり知れぬ頭の中にあるのだから仕方がない。マア極楽へも行かずにすむ訳だが、何にしても乱歩氏近来の大力作だけに、号を追って、定めし諸君を魅惑せしめずにはおかぬだろう。
(後半省略)


次に最後の(横溝)署名の文章も下記に引用する。

◆「パノラマ島奇譚」は最初百五十枚三回分載の予定だったけれど、作者の都合で、あるいは少しのびるかも知れないとの話である。のばせるものならのばして貰ひたいとは、けだし編集同人の願いばかりではなかろう。
(後半省略)


と、このようなわけで江戸川乱歩の新青年初の中篇『パノラマ島奇譚』はやはり出だしから圧倒的に大好評で迎えられたようである。ちなみに横溝正史の編輯後記の文の願いは美事に叶えられた。連載は全五回もに及んだのである。とはいえ、じきに昭和二年の項に触れるとおり、さらにもう一回休載があるのだが・・・。また神部編集者のにも触れられてるような有様だから、下記に引用する新青年十四号(十二月号)で乱歩は休載していることに、当時の読者の皆さんはさぞガッカリしたものだろうと思う。


続けて「新青年」大正15年12月号より、巻末の「編集日誌」より乱歩関連記事を一部引用(※新字体の新仮名遣いに調整)する。なお、署名は全文(一記者)となっているが、文面から判断すると、森下雨村の文章で間違いなさそうだ。

(前半省略)
◇二十七日 報知新聞夕刊に江戸川乱歩、平林初之輔、甲賀三郎、森下雨村など探偵趣味の会同人で鬼熊探検に出掛ける由の記事が出る。計画はありたれど、確定したるわけにあらず、前日報知記者中代君に会い、つい口をすべらしたがためなり。新聞記者は恐ろしと雨村生こぼすこと頻り。夜、銀座「やまと」にて趣味の会の慰労宴。 (中略) ◇十日 江戸川乱歩氏、親戚の法事や病氣のためパノラマ島奇譚思うように執筆捗らずとのこと。十五六枚は出来ているとのことなれど、申し訳に四五頁掲載するのは却って興なし。断然休掲といふことにす。 ◇十二日 江戸川氏熱海より長文の謝罪電報を送り来る。末尾に「スグ一ガツゴウニチヤクシユ(すぐ一月号に着手)」とあり。 (以降省略)



パノラマ島4回目の「新青年」昭和2年2月号でも、些か乱歩に触れていたので、横溝正史の編集後記の記事も一部引用(※新字体の新仮名遣いに調整)させていただく。

◆「疑問の黒枠」、「パノラマ島奇譚」、「二枚の肖像画」共に多大の反響を頂戴している。「疑問の黒枠」の、あのガッシリと四つに組んだ堂々たる書き振りには何人も敬服せずには居られぬだろう。「パノラマ島奇譚」は本号においてついに「殺し場」までやって来た。この「殺し場」を書くのに作者がどんなに苦心をしたか、それは何人も企及し得ぬ所だろう。


「新青年」昭和2年3月号の「パノラマ島奇譚」休載についての編集だよりの引用。署名はなかった。

「パノラマ島奇譚」は作者病気に附き休載のやむなきに至りました。


最後にパノラマ最終話が載った「新青年」昭和2年4月増大号の(横溝生)署名の「編集局から」の一部引用(※新字体の新仮名遣いに調整)。

◆「パノラマ島奇譚」はかなり長い間、多大な好評で迎えられていたが、本号で目出度く解決を告げた。乱歩氏の血の吐くやうな辛苦を思うとちょっと涙ぐましくさえなる。殊に本月の分なんか脈拍百という体を押して執筆して戴いたものである。何とも感謝の言葉がない。

比較的最近の収録文庫本
角川文庫・江戸川乱歩作品集『パノラマ島奇談』
講談社文庫・江戸川乱歩推理文庫『パノラマ島奇談』
春陽文庫・江戸川乱歩文庫『パノラマ島奇談』
創元推理文庫・日本探偵小説全集2『江戸川乱歩集』


(注意)残念なことに角川文庫と講談社文庫は品切・絶版中・・・


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