一寸法師


登場人物
小林紋三,縞の着物に鳥打帽に三十恰好の男,一寸法師,洋服紳士,紋三の下宿の奥さん,白い着物を着た四十恰好の坊さん(養源寺の住持),遊人風の男,養源寺近くの駄菓子屋の婆さん,木田三次郎,戸山医学博士,山野百合枝夫人,山野大五郎,山野三千代,明智小五郎,山野家使用人たち(小間使いの小松,玄関番の書生の山木,運転手の蕗屋,女中の君ちゃん,小間使いのお雪,他二人),銀座R百貨店関係者たち(〈従業員系:呉服売場の少年店員,同若い店員,宿直員たち,支配人など〉,〈呉服店売場の客系:ある小学生の兄妹,婦人,別の婦人など〉),三囲神社の不思議な目がねの男,中之郷O町の耳の遠い老婆,田村検事,北島春雄,定公とその仲間たち,安川国松,明智の部下たち(斎藤,平田など),養源寺近くの菓子屋の爺さん,その他警察関係者たち

主な舞台
浅草区(浅草公園周辺,吾妻橋,浅草六区,清島町),本所区(吾妻橋渡ったあとの交番近くの小さな寺の養源寺+裏手の墓地〔中之郷A町〕,山野氏自宅〔向島小梅町〕,三囲神社,中之郷O〔表*〕町*六三,安川国松の人形邸の店〔養源寺墓場の裏手〕,本所原庭警察署,隅田川の堤及び深い森〔中之郷O町〜右へ行くと曳舟の駅があるところまでの隅田川沿い),下谷区(上野山下〔雷門から直通の電車の駅〕,上野広小路〔左記の次の駅〕,上野公園周辺,精養軒〔お食事どころ〕),赤坂区(菊水旅館),日本橋区(銀座通りの有名なR百貨店)など

※(ちょっとした“うんちく”)
1.浅草区の清島町だが、北清島町と南清島町しか存在しない。なお、それぞれ現在の番地も挙げておくと、「浅草区北清島町」がほぼ「台東区東上野六丁目」の全領域相当であり、「浅草区南清島町」→ほぼ「台東区元浅草二丁目十番地」相当である。なお、電車(もちろん路面)の駅には清島町は存在する。

2.中之郷A町、まず中之郷にはア行の町名は存在しない、しかし次の中之郷O(表)町と合わせて考えると一つの推測をすることが出来る。
ともかくもそれはとりあえず後回し、まず中之郷*町に存在するところを全て挙げる、なお、この「一寸法師」で使われているこの番地は現在より二世代前、明治・大正・昭和最初期?(この旧番地は震災前までが基本のような気もする)の番地である。中之郷竹町、中之郷原庭町、中之郷瓦町、中之郷元町、中之郷八軒町、中之郷業平町、中之郷横川町、この7つで本所区にある全部である。それをそれぞれ昭和前期〜現在の番地(この「吾妻橋」の番地においてはほぼイコールであった)に変換すると、下記のようになる。
中之郷竹町、中之郷原庭町、中之郷瓦町の一部、中之郷元町の一部→吾妻橋一丁目
中之郷瓦町の一部、中之郷元町の一部→吾妻橋二丁目
中之郷瓦町の一部、中之郷八軒町及び(中之郷ではないが)小梅業平町→吾妻橋三丁目
あとここからは旧大正時代番地→昭和前期の番地(現在の番地)で表記する。
中之郷業平町→業平橋一丁目全域及び同二丁目の一部(「業平」の同番地の一部〔この「業平橋」+後の「平川橋」=「業平」相当である〕)、平川橋一丁目全域及び同二丁目の一部(「業平」の同番地の一部〔前の説明参照〕)、横川橋一丁目(現在の横川一丁目)
中之郷横川町→東駒形四丁目(現在も同じ)と厩橋四丁目(本所四丁目)
ここまで無駄とも思えるくらいに中之郷情報を書いてきたが、ともかくも中之郷A町も同O町も存在しないことがわかったと思う、では創作なのか、そう言えば非常に楽だが、そう思うくらいなら、作者のケアレスミス、あるいは当時は慣習的にそういう呼び方もあったのではないか、と考える方が面白いし、さらには符合する地名も存在するのでなお良いのだ。なお、私は複数の大正・昭和初期の古地図から調査してるので、正式名称としての中之郷は上記の7つであるのは間違いないことは附記しておこう。ではまずO町、「表」という字から探してみると、そのまま表町というのが、中之郷と付く番地の隣り合うところに発見した。そして更に隣り合うところに養源寺のあるA町、荒井町も発見。しかも少々古いが1909年の地図には謎の墓付き寺もこの番地荒井町には二つもあるのだ。震災後の地図からはきれいサッパリ消えてるものの、震災のダメージが異常に大きかったこの本所・浅草区域では寺も激減、見かけ上の墓場の数そのものが減ってることは言うまでもないことだろう。で、その表町と荒井町の昭和初中期の番地(括弧内に現在の番地)も挙げておこう。
中之郷O町最有力候補の表町→東駒形一丁目〜三丁目の一部(現在も同じ番地町名)
中之郷A町最有力候補の荒井町→厩橋二丁目の一部(現在は本所二丁目の一部)
ちなみにこの近くには美事に本所原庭警察署も存在する。原庭警察署は大正十二年の時点で、当時の松倉町一丁目、つまり昭和初中期=現在の番地では東駒形三丁目の一部に位置している。なお、これがこの「一寸法師」事件が関東大震災前の事件だと決定づける一撃になるような気がするが、1937年の地図では原庭署は存在せず、東駒形二丁目(現在も同じ)に厩橋署というのが代わりにある。

ちなみに向島小梅町とは『陰獣』でも登場してるが、本所区小梅一丁目&二丁目の一部を差し、現在においては墨田区向島一〜三丁目の一部をさす番地が相当する。
また三囲神社は今も当時と同じ場所に実際に位置している。住所の変遷は向島小梅町→小梅二丁目→向島二丁目。
あと、本所区関連でもう一つ、隅田川の堤沿いの深い森がある場所は右に行けば、曳舟駅というヒントから向島須崎町(二世代前と一世代前同じ住所)であると推定できる。現在では向島五丁目あたり。

3.下谷区の上野広小路というのは、当時の電車の起点にもなる停留所でもあるが、上野廣小路町という番地もある。現在で言う上野四丁目の3〜5番地及び松坂屋百貨店(当時からある)のあたりだ。その手前にあるという上野山下、この停留所は現在で言う上野四丁目九番地と同二丁目十三番地の間くらいに位置、データから考えておそらく上野公園前駅と同義であると推測できる。なお、精養軒は当時も現在と同じ場所である。

4.日本橋区の銀座通りのR百貨店、大正十二年の地図で探した限り存在しないようだ。なお、存在したのは、高島屋、三越、白木屋、松屋の各呉服店(百貨店)

作品一言紹介
事件の主役のようでも枠役のようでもある一寸法師が所々である時は吾妻橋の上で奇々怪々な行動を、またある時はいきなり消失したりなどと事件の起こるところところで奇怪な跳梁をする長篇探偵小説。主人公の小林紋三は最初に一寸法師に翻弄され、また山野家の事件に深く関わりをもち、支那帰りのシナ服の素人探偵明智小五郎に事件解決を依頼する。その明智が最終的に導き出した驚くべき結末とは一体どういうものだったか?

章の名乱舞(参照は旧角川文庫)
【生腕】【令嬢消失】【お梅人形】【密会】【疑惑】【畸形魔】【誤解】【罪業転嫁】

※(異本たる春陽堂バージョンに於ける異章題)
生腕→【生き腕】,【畸形魔】→【奇形魔】

著者(乱歩)による作品解説(ちくま文庫引用)
 大正十五(昭和元)年十二月から昭和二年三月まで、東京、大阪の「朝日新聞」に連載したもの。この作が小説として、ひどく幼稚だったので、自己嫌悪に陥り、知友に当分休筆するという通知を出して、行方定めぬ放浪の旅に出たことは、いろいろの随筆に、たびたび書いている。しかし、この作は当時東西あわせて二百万の「朝日新聞」にのって、広く読まれたために、人の記憶に残り、前後三回も映画化されている。第一回は昭和二年、直木三十五が経営していた連合映画芸術協会(石井漠主演)、第二回は昭和二十三年、松竹京都撮影所(藤田進主演)、第三回は昭和三十年、新東宝(二本柳寛主演)であった。三度とも別々の一寸法師役が探し出されたのだが、私はその一寸法師諸君に、みな面会している。一緒に酒を飲んだ場合もある。これについては「探偵小説四十年」の大正十五年の章に詳しく書いておいた。

比較的最近の収録文庫本
角川文庫・江戸川乱歩作品集『一寸法師』
講談社文庫・江戸川乱歩推理文庫『パノラマ島奇談』
春陽文庫・江戸川乱歩文庫『地獄の道化師』
創元推理文庫・乱歩傑作選『湖畔亭事件』


(注意)残念なことに角川文庫と講談社文庫は品切・絶版中・・・


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