「蜘蛛男」雑感<蜘蛛男のユートピア> 

※ネタバレなので、要注意。未読の方は読まないでください。
あまりにどうでもいいことだシリーズ


蜘蛛男のユートピアといえば、中盤で明らかにしラストで実現を試みた四十九人の裸女による地獄図絵の実現ということはわかっている。それに里見絹枝に施した水族館の人魚も似た趣旨の殺人芸術だったかもしれない。

しかし腑に落ちないのが里見芳枝に施したような不格好なバラバラ石膏像だ。世間に対して底知れぬ恐怖を巻き起こすという点では目的を達成してはいるのだが、これのどこが芸術なのだろうか? 芸術性は欠片も見られない。新聞紙上の畔柳博士談の記事でも世間をアッと言わせたいという悪魔の稚気があるということしか言っていないではないか。

更に言えば、野崎青年が発見した恐怖の『漬け物のお友達』に至っては悪魔の稚気すら感じられない。ただただおぞましいだけではないか。

これらを考えると蜘蛛男の中の悪魔は、徐々に芽を伸ばしていったのだろうと推測される。しかし彼にとって惜しむらくは富士洋子にあまりにも妄執してしまったことだろう。四十九人の殺人芸術計画を既に立てておきながら、なぜ四十九人にすら含めていなかった富士洋子に拘ってしまったのか。蜘蛛男痛恨の失態と言わざるして何と言おうか。

ここまで考えて、明瞭な結論を求めるとすれば、富士洋子に執念を燃やした本当の理由はやはり特別な愛にあったのかもしれない。四十九人のユートピアに彼女には外側から傍観者として参加してもらいたかったのかもしれないのだ。これぞ蜘蛛による究極のサディズムなのではないだろうか。
(2009/06/26最終更新)

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