「蜘蛛男」雑感 <いつの間にやら蜘蛛男と呼ばれてます>
※ネタバレなので、要注意。未読の方は読まないでください。
あまりにどうでもいいことだシリーズ
この作品の主役の怪人は残忍酷薄で薄気味悪いことから『蜘蛛男』と呼ばれるという旨がこの物語の開始時点で明かされるわけだが、実は作中ほとんど『蜘蛛男』と呼ばれたことはなかったりするのは案外意外な事実かもしれない。(もっとも乱歩作品全体でも珍しいことでもないが)
確かに序盤の里見芳枝が苦しめられた『浴槽の蜘蛛』の章では、虫たる蜘蛛に気狂い踊りを演じさせるなど、蜘蛛そのものは薄気味悪い登場の仕方をしている。蜘蛛嫌いで知られる乱歩自身も相当気味悪く思いながら執筆しただろう描写だ。
しかし蜘蛛男の名前を見るのは、終盤に差し掛かる『刑事部長の旧友』の章まで待たねばならなかったのだ。というのもそれまでは『青髯』やら『賊』やら『奴』やら呼ばれていたからなのだが、これは一体どうしたことだろう
しかも『刑事部長の旧友』の章では唐突に『蜘蛛男』の名前が語りの部分に出てきただけではなく、帝都住民や新聞紙上、果てには国会野党だけではなく国務大臣に至るまでの話題になってしまうほどの一大問題となっているというのだから、今までの語り部やセリフ等から見ればあまりにも唐突なのだ。
しかしこれはよく考えてみれば、『刑事部長の旧友』からは明智小五郎が主役の舞台に立ったということを意味しているのかもしれない。明智小五郎は確かにこの直前の『異国風の怪人物』の章で姿を現してはいる。しかしこの時点では名前を出すことはなかった。つまりこの『異国風の怪人物』の章までは畔柳博士があらゆる意味で主役だったと言える。ゆえにこの畔柳博士が主役の段階までは語り部など小説上の表現として『蜘蛛男』ではなく、畔柳博士風の言い方で『青髯』という賊名が使われていたのではないだろうか? 畔柳博士自身が青髯という呼び名を気に入っていたのは作中の展開から明らかということも注目されよう。
そして新聞社が付けたとしか考えようがないのが、『蜘蛛男』という賊名なのだ。まさか警察当局がこのような賊名を付けるとは考えられないため、新聞社が扇情的に残忍酷薄で薄気味悪い『蜘蛛男』という名前を付けて、結果的に世間に広まったと考えるのが自然だろう。
そして明智小五郎は本邦に復帰する際に新聞記事でもって、この蜘蛛男事件を知ったということなので、恐らく最初から賊のことを『蜘蛛男』と認識していたと推測される。だからこそ『刑事部長の旧友』の章では唐突に『蜘蛛男』の名前が語りの部分に出てきたということなのだ。
最後に念を押して結論を言えば、主役交代による作品世界の見せ方の変化が、この小説の賊の名称を『青髯』から『蜘蛛男』にならしめたと考えられるのだ。
(2009/06/26最終更新)
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