鏡地獄の果てに


 乱歩の作品で鏡やレンズというと、他に「湖畔亭事件」のどう見ても変態としか思えぬ覗き装置、「悪魔の紋章」の名探偵の宗像博士に狂界を見せ、物語にある意味結末をつけかねなかった八幡の藪知らずの鏡の恐怖、そして「押絵と旅する男」の幻想世界の入り口なりえた望遠装置などなども浮かぶ。ここでは詳しくは触れずにおくが、乱歩作品でレンズや鏡が出てくると何らかの形で効果的。特にこの「鏡地獄」は乱歩怪奇小説のある方向の究極を見せてくれた作品なのである。

 この話は鏡偏執狂の男の哀れな破滅への物語とも取れる。幸か不幸か鏡偏執狂者は莫大な財産を若くして引き継いでしまう。莫大な金銭で本人にとってのユートピアを作ろうとした点では、「パノラマ島奇談」などとも一脈を通じてるのかも知れない。

 作り物かもしれないが記憶を辿ってみる。鏡の部屋に入ったこと、子供の頃に遊園地のアトラクションで入ったような気がする。確か小さな鏡の迷路だった。続、鏡の関する記憶、鏡面台の多角鏡、これを見た子供の私は自分の姿が無限に写す出されたのに驚愕しつつも、その世界を不思議に思ったものだ。ただ恐怖はしなかった。望遠鏡、月の表面を見てみる、するとデコボコのクレーター、これを自分で初めて確かめたときも驚いた。当然のように既に写真などで見たことあっても驚いた。写真のように鮮明でない分、奇妙な新鮮味があったのかもしれない。虫眼鏡、子供の頃ホームズの真似?かなにかは忘れたが、結構愛用していたような気がする。理科の実験か何かでは紙を燃やした。顕微鏡、やはり小学校の理科の実験で見たミクロの世界、生きている世界、なんとなく恐ろしげであった。そして「鏡地獄」、高校1年前後に読んだこの短篇、驚異した。特にラストの球体鏡を想像すると、また驚異した。想像すらも許されない世界、夢でも見ること出来ない世界、気が触れるのも無理はない世界。そういえば万華鏡、最近は私も覗くこともない万華鏡、球体鏡が出現させる異世界もこの万華鏡と同じで常に違った世界、動くごとに違う世界が展開されていたのかもしれない。狭い空間だからこそ見れる生きている異世界、しかもある意味では死んでいる異世界。変化あれども進化も進歩もない異世界。それが狂気の世界の正体なのか。生きる屍が映った世界こそ地獄なのか、鏡偏執狂者は何を見たのか、それは自分の生きた屍なのか・・・・・・。
(2001/2/14 アイナット生)

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