連作『江川蘭子』を読んで


  連作の「江川蘭子」を春陽文庫でようやくこの間読んだので感想を一つ残しておこうと思い立った。と、その前に概略から書いていこう。江川蘭子はネタバレなしの作品説明でも書いたとおり、博文館発行の「新青年」昭和五年九月号から昭和六年二月号まで連載されたリレー形式の連作長篇であり、江戸川乱歩は第一回を、つづけて横溝正史、甲賀三郎、大下宇陀児、夢野久作、最後を森下雨村という「新青年」の、つまりは当時の探偵小説界トップクラス作家の夢の競演という贅沢な作品だった。

 まず、第一回の乱歩だが、さすがというか、何というかの魅惑的書き出しではある。謎を提出した本格味のある探偵物にせず、女妖・江川蘭子の活躍譚にしたのには些か物足りなさを感じないわけでもない。だけれども、とはいえ、これは以前の『五階の窓』が懸賞小説にした関係上、犯人あてにしたまでで、実際のところ、連作の場合はこの手の変格系の話の方が巧く繋がりやすいのは言うまでもないことで、事実、一般に連作の中で評判が良さげなのは、この『江川蘭子』と『綺形の天女』であろうことからも察しがつくというものだ。と、話が脱線気味であるので、元に戻すとしようか、第一回の乱歩は、世紀の妖女江川蘭子の生まれから育ち、現在に至るまで客観的に怪しげな口調で描いている。中でも特に私がブルッとする恐怖、背筋が凍り付いたシーン、それは赤子の蘭子が両親が殺害された後に、その血を吸っていた描写だ。ただ睡眠薬云々の所など終わりの方は今ひとつであるのは否めないだろう。どうも最初のインパクトが強すぎたせいかもしれない。

 それでお次は横溝正史だ。前回の乱歩が神戸や阪神間に舞台を移したのは、私的には次の正史を意識したからではないかと、つまり乱歩のある種の優しさも感じられるような気もする。気のせいだろうか。その正史は乱歩の後をどちらかと言えば、第一話に広がりをスタンダードに引き継いだ感がある。あざみの花やら城山一家やら色々物語のキーを作っていたが、ラストの戸山定助老人の本性が一番の山場であろう。

 三番目の甲賀三郎はご存じの通り本格派のため、変格的なこの話に戸惑ったとのことだが、蘭子を前面に上げずにいて美事にリレーしているし、成果としては今まででは明らかに不足していた謎らしい謎の提出だろう。横溝ラストに続くアダムス四郎の件は甲賀の最初から意外であった人は多いのではないか。あざみの花の謎を発展しつつの黄死病も突然の感は強いが、面白い展開だった。

 四番目の男、大下宇陀兒は宙に浮いてた城山一家にスポットを当て、特に省吾の父の伝右衛門が秘密を明かし、江川蘭子の目的も同時に明かされたように思われた。更には甲賀のラストも上手くリレー、解決編への先鞭を付けたと言えるだろう。

 第五の夢野久作は連作六人の中で最も自分の色を出し、更にはほとんど全てに解決を与えてしまうと言う離れ業をやってのけた。王青児のセリフで組み立てたこの章はまさに圧巻であり、よくバラバラの話に整然たる筋を付けたものだ。

 最後の森下雨村は夢野の筋を生かし切れてないように思われる。最大の問題なのは、江川蘭子の当初の目的と思われた親殺しの城山伝右衛門が訳分からない所で退場したことだ。もっとも戸山定助との自動車内の決闘が山場であるし、そのシーンに特化すればハラハラできるのだが・・・。ラストの王青児や城山省吾、妙子の扱いにも無理がありすぎるだろう。

 とまぁ、真に簡単ではあるが、とりあえずこの辺りで詰まらぬ感想は幕を閉じるとする。(2001年1月6日 アイナット生)

【追記】今日、本の友社の復刻版新青年で挿絵を見てみた。それがまた異様に怪しいのである。特に乱歩の赤子蘭子の血吸う悪魔のシーンが凄い、挿絵もまたやはり凄かった。他、色々な遊戯の挿絵も唸るほど表現されていた。惜しむらくは、横溝分と夢野分の岩田専太郎の挿絵が許可が得られなかったとかで、復刻版に未収録だったことだろう。また初出見て以外に思ったことは、そのうち新青年目次紹介で書くつもりだが、乱歩から大下までは巻頭小説であったのに、夢野と森下は変な位置に降格した上に「副題」(江川蘭子第5回)とかいう風な形式になっていた。これは人気がやはり落ちてきたためだったのだろうか?時間不足で詳しく確認したわけではないが、来年前には確認したいところだ。
(2001/1/9 アイナット生)

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