悪魔の指紋地獄の独自力
この探偵小説は意外なことに話題に上ることが比較的に少ない。とは言え、私的には結構好きな通俗長篇である。確かに一見「蜘蛛男」と似たような感じであるが、違う要素も多々ある。と言うよりも探偵=犯人、乱歩の自注自解にあるとおり、あのルブランの「813」、ルル−の「黄色い部屋」で驚異したトリック、ただ唯一この点だけが同じというのが、クローズアップされすぎではないだろうか。そうではないのだ。この小説は豪華版だと考えて見よう。すると、いろんな事が驚異すべき事柄に出会ってきたことを再認識されるはずだ。
まず無難なところから見所を挙げていこう。宗像博士と明智小五郎と二人の名探偵の登場である。これは「蜘蛛男」と一脈を通じる部分であるが、名探偵の宗像博士の場合は直接に助手が死の危難に遭遇するのである。特にお化け大会こと、八幡の藪知らず、あの鏡の効果も出てくる、あの注目すべきシーンもあるが、助手の話をすると、小池助手、彼は物語中途まで活躍するので、その死には悲しみをすら覚えるはずだ。そしてこの辺りで犯人予想も百パーセントに到達するのではないだろうか。ここがいわゆる簡単な算術の問題の解答なのである。一方の冒頭の木島助手の方は気の毒なことに最初の被害者だけにあまり読者には印象が薄く同情されることは少ないだろう。私にも単なるコマにしか見えなかったものだ。
それで見所の続きだ。掃除人夫のトリックも結構面白いものではなかっただろうか、しかも探偵=犯人で行われる掃除人婦のトリックなのである。トリックのトリック、愉快なほど面白いではないか。そして先程も触れたお化け大会と鏡地獄、どちらも犯人=宗像博士が引っかかるところが例え極悪人たりえても、人間らしさの顕現でもあるし、そういう博士が微笑ましくもある。またその直後の小池助手の遭難、この恐るべき展開スピードは特に初読時の私をワクワクさせたものだ。そして効果的なものはまだまだある。実に「蜘蛛男」のエログロに負けず劣らずで、ここまであると、単なる「蜘蛛男」の焼き直しとだけでは評価は絶対に不可能なはずだ。川手氏との山梨への逃避行もサスペンス溢れている。一端、東海道線に乗りつつも、横浜あたりで横浜線?で八王子、そして中央線で山梨甲府周辺への逃避行、しかもこれも宗像博士、自分が犯人だというのに手の込んだ逃避行、挙げ句の果てに飛び降りである。これは宗像博士が根からの広義の探偵趣味家としか思えないことではないか。遊戯なのだ、宗像博士に拍手を送りたくもなる。そしてそこから繋がる話で、復讐を川手氏に見せつける場面、あれも凄い、確かに川手氏の親父は最低人間でどうしようもなく描かれ、宗像博士にも同情点が多大であることを示しているのも、変態犯罪者で個性を発揮しまくっていた蜘蛛男・畔柳博士とは大きく異にしていることであろう。また早すぎる埋葬を復讐手段に利用したのも悪魔の復讐として評価できると思う。
では最後にチラリと悪魔の「紋章」の最大の目玉、指紋について、お話をしよう。三重渦状紋、これがこの事件では判子のごとき悪魔の署名であった。私は特にあまり指紋というのを気にしたこともなかったのだが、この小説を読んだ後は、やはり気になってしまった。もっとも三重渦状どころか、二重渦状でもなかったのだが・・・。とにかく確か、指紋をもろに扱った初期短篇「双生児」と合わせて、自分の指紋に奇妙なる興味を持たせた要因ではなかっただろうか。とにかくも悪魔の指紋は宗像博士の恐るべき署名であり、北園龍子抹殺、復讐ための狂気的誇示なのだ。何という壮大な計画であったことか。そしてその効果も十分に読者を喜ばせたものであろう。
(平成十三年二月十六日 アイナット生)