推理小説の歴史は19世紀初頭にアメリカ人エドガー・アラン・ポーのモルグ街の殺人で幕を開いた。私もポーの作品ではその記念すべきモルグ街、さらに暗号の嚆矢、黄金虫などを読んだことがあるが、創世記にしてはなかなかの出来だったと記憶している。またポーのデュパンこそ後世の全ての探偵小説の探偵たちの原型であり、あの超有名人のシャーロック・ホームズだって、我らの明智小五郎だって例外なくデュパンの子供たちということになるのである。
世界の探偵小説の生みの親がポーとわかったところで、では日本においてのそれは誰なのか。エドガー・アラン・ポーからペンネームに拝借しているぐらいだから江戸川乱歩だ、と答えたいところだが、残念ながら違う。でもそれは結構な有名人で黒岩涙香という男で、歴史を少々かじったことのある人なら聞いたことがあると思う。明治半ばの東京で最大部数を誇っていた万朝報の主宰者である。万朝報の朝報社といえば一時期、内村鑑三、堺利彦、幸徳秋水もいたところだ。結局三人は朝報社が日露開戦論に傾いたとして明治36年10月に退社し、翌月には堺と幸徳は平民新聞を発刊して非戦論と社会主義を訴えるのだが、開戦二月後の明治37年4月に新聞紙条例違反で堺は逮捕されてしまった・・・・・・・・・、どうも歴史の話になると派生が止まらなくなるので、話を元に戻そう。それで日本に探偵小説を持ち込んだのは黒岩涙香なのだ。万朝報以前、彼は別の新聞社にいたのだが、明治20年頃から、そこで翻案という形で探偵小説を扱ったのである。ちなみにこの場合の翻案というのは厳密な翻訳とは違い、あくまで海外の作品をベースにして、日本向けに脚色することだ。そのようにして黒岩涙香の手で日本に探偵小説は紹介され、それを読んだ人たちが後に探偵小説家になっていった。何を隠そう江戸川乱歩もその一人で、彼は作中でポーや涙香を登場させることが多い。そういうあらゆる点からして黒岩涙香こそ日本探偵小説の父である。
この一連のページではそうやって育まれてきた探偵小説を日本の一般大衆のものにした江戸川乱歩を紹介したい。乱歩の独特の筆で描き出される怪奇ワールドは戦前の娯楽に乏しい人々に大いに貢献したに違いない。では、君も入ろう、乱歩の世界へ。きっと、乱歩の虜となるはずだ。(確か99年2月執筆のはず)