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昭和6年〜昭和10年の感想(蘭郁二郎・小説)


「息を止める男」
『探偵趣味』昭和6年7月号に掲載された蘭郁二郎の文壇処女作であるようだ。感想を一言で表せば旧字体版ですら読みやすく平易、しかも掌編ながら、ツボを押さえた怪奇幻想の力は十分、と言ったところか。息を止める男というのは、そのままの意味で呼吸を止める男であり、麻薬中毒者のように呼吸を止めた状態に快感を感ずる一種の変態欲望である。そして中毒者に付きものの所謂免疫のような慣れも生じることからその息を止める時間も日に日に長くなっていく。しかしそれから得られるものは正に幻想世界であり、息を止める男は、その別世界へのトリップに快感を覚えているのであった。


「余裕といふこと」
『自由律』昭和7年5月号に掲載されたものらしい。超掌編であり、詩に近い感じである。単調よりも複調を好む余裕を持つべきだ、ということが言いたいのだろうか?どちらにせよ、取るに足らない作品である。


「道の陰影」
『自由律』昭和7年6月号に掲載されたものらしい。これも詩に値する作品である。道で出会う多くの人間、彼らはそれぞれ別々の人生を歩み続けるわけだが、ある道で一度クロスしても、二度目がある確率は極めて低い。そこに虚無のようなものを感じるのである。


「歪んだ夢」
昭和7年6月に『秋田魁新報』で連載されたとのこと。圧倒的な傑作である。恐るべき異常性にゾッとする怪異を感じる幻想犯罪小説。そこにいるのは夢に不思議な魔力を感じる男。そして遂には夢と現実とがシンクロしだし、例え不合理な夢でさえも次第に両者の区別が困難になる狂夢の快楽。ラストの異常性の共有願望の破綻がまた物凄く、狂異の犯罪心理に充ち満ちている。思わずオリジナル版(初出旧字版)で直ぐさま再読。やはり怪異の傑作だと思うのである。


「古傷」
『自由律』昭和7年7月号に掲載されたものらしい。これお超掌編。しかし詩と言うにはちょっと異和感が大きすぎる。つまり訴えるかけるものも伝わらず、意味深長なものとは思えないのである。


「舌打ちする」
『自由律』昭和7年8月号に掲載されたものらしい。ほんの掌編であり、大したものでもないが、蘭郁二郎自身の投影と見れば、興味深いものかもしれない。舌打ちする、とはちょっとした後悔ということだろう。


「縺れた記憶」
昭和7年8月に『秋田魁新報』で連載されたとのこと。極端に忘れっぽいところがあった主人公は、じきに一部の記憶を断続的に思い出せない状況が悪化していく。更にその記憶のない間に彼は悪事を尽くしているのである。二重人格による悲劇。しかしどうも最初のボケたような忘れ病と二重人格に連綿性が見いだせないところなどから、些か苦しいような感じがする。記憶を超越した内なる犯罪心理が隠れているのだろうか?


「彼と汽車」
『自由律』昭和7年9月号に掲載されたものらしい。これも掌編で、郷愁的ストーリー。言えるのは、単なる普通の「詩」としては非常に興味深いが、それ以上のものではないだろう。


「駄々をこねる」
『自由律』昭和7年10月号に掲載されたらしい。これも同人誌時代ということもあり、大したものに思われない。表と裏を同時に使い分ける人間らしいのだろうが、その虚構が描かれているとでも言うのだろうか。


「うるう年」
『自由律』昭和7年11月号に掲載されたらしい。ある犯罪者が時効が過ぎたと思い、元警察の検事の元へその犯罪を自慢げに暴露しに行くが、そこに待っていたのは自身への陥穽だった。いわゆるユーモアものであるが、効果などはそれほどではないと思う。


「都会の恐怖」
『自由律』昭和7年12月号に掲載されたものらしい。城昌幸を思わせる掌編怪奇である。都会の空虚に真の孤独を感じ、それに異常に執着する男。乱歩の群衆の中のロビンソンにも似た心理かもしれないが、この物語はそれを動機にして更なる極端へと走り行く。犯罪。


「恐しき寫眞師」
昭和8年1月に『秋田魁新報』で連載されたとのこと。鮎川哲也編の『怪奇探偵小説集2』に収録されている「魔像」の原型版。ゆえに再読みたいになるが、感想を書いていくと、改めてこれは凄すぎる犯罪怪奇だと確認させられた。前半は単なる恐怖写真気狂いの話で、所謂怪奇だけだったが、それらも最後の章への伏線に過ぎない。最後手前の写真の対象にも少々恐怖千万である上に、それすら最後の仕上げの伏線部で、その結末部の《腐り行くアダムとイヴ》これにはもはや驚愕を通り越している悪魔の美学だ。やはりこれは犯罪怪奇小説の傑作としか言いようがない。


「鉄路」
昭和9年1月に『秋田魁新報』で連載されたとのこと。恐るべき変態性欲を絡ませた犯罪小説である。ある鉄道運転士が《魔のカーヴ》と呼ばれる自殺の名所で人を轢殺したことから、遂には正常の感覚の麻痺、そして轢殺に快感を覚える鬼とまで化していくという話。特に最後の異常心理の流れは狂異的であり、恐るべき悪魔の嫉妬の昇天である。轢殺魔は恋人の占有に完全に敗北することで、轢殺に絶対的絶望を感じ、昇天したというのだろうか!? とにかく変態性欲者を扱った異常小説としては面白いと思う。


「幻聴」
『ぷろふいる』昭和9年12月号に掲載。大したことにも思えない小篇で、予知の声が聴こえるという意味の千里眼の話である。


「自殺」
昭和10年1月に『秋田魁新報』で連載されたとのこと。名品が多い『秋田魁新報』シリーズの中では、個人的にはあまり面白いと思えない作品だった。自殺と報道された男、その実際は現実錯誤であったのだ。


「足の裏」
『探偵文学』昭和10年3月号に掲載。これも異常性の強い変態性欲物。犯罪小説にならない話、とも言う。内気で、自身のその劣等意識から露出嫌悪症、裸体嫌悪症だった主人公は反動として美しい肌を見るのが好きな変態性欲者であった。その男が夢見た足の裏から見える世界とは!?


「街角の恋」
『探偵文学』昭和10年11月号に掲載。またもや異常心理のショートショートである。人形を恋する男の異常性。


「蝕眠譜」
『探偵文学』昭和10年12月号に掲載。異常心理と恐るべき変態性欲ものである。慣れによって眠らない体作り上げる、という異様な動機と、変態性欲が絡み合い、それに主人公の超意識が狂気を奮うのであった。