人間椅子を読んでの感想


 乱歩の初期短編の中でも怪奇幻想味の強いものをいくつか選べと言われれば、おそらく大抵の人が『人間椅子』を応えに加えると思う。そしてそれに反論する人は皆無に近いだろう。

 この『人間椅子』はここで改めて触れる必要はないかも知れないが一応書くと、『苦楽』の大正十四年十月号に載った短編だ。スタンダードな視覚主体によるものでなく、触覚主体による美しさ、芸術性、恋愛を追い求めた作品であり、後の長篇『盲獣』なども同一線上であるのは言うまでもないこと。椅子の中に入った男という一見滑稽にも見える題材からの悪魔的受身恋愛及び狂気的隠れ蓑願望、加えて椅子の男は自分をやどかりを形容していたように思うが、そうではなく外気を避け自分の殻に閉じ籠もるという意味では究極の引きこもり現象をも描いてしまう開所恐怖症であると同時に明所恐怖症であり、逆説的に言えば、恐るべき閉所快楽症であると同時に暗所快楽症の病魔に取り憑かれているのである。この椅子という閉所や暗所の盲獣コミュニケーションは決して双方向でありえず、単なる虚無の片道切符に過ぎないのだ。つまり佳子への告白はこのような状態からの脱皮宣言を意味していたのかもしれない。ともかくまさにこのような多重効果で並々の意味での怪奇幻想を超越してるとしか言えないだろう。

 更には先程までとは幾分意味は異なるが、そういう立場にあるにも関わらず、人間椅子はそこに座った人の生命をも左右すると意味から、まさに神的存在にも登り詰める。もっともそれは人間の亡霊化と言った方が真実らしいかもしれない。精神的にも視覚的にも認識しえない隠れた人間椅子には亡霊が相応しいからだ。

 また読み手の閨秀作家の佳子の椅子がこの人間椅子に化けたと、示唆、告白する場面では怪奇味・恐怖味もピークに達し、ようやく佳子と読む者は最後のもう一通の手紙で安堵する・・・・・・いや、前言撤回、おそらく佳子は全く安堵出来ないだろう、きっと家中のアームチェアやソファーの類を視るたびに起こる生理的恐怖感を払拭出来ず、それらを一斉処分したのではないだろうか。人間椅子、現実的に馬鹿馬鹿しいと思える一方、その狂夢の実現も可能なのだから、私はつい後日談的にそう予想してしまうのだ。あるいはもしかしたら諸々の問題を解決した人間椅子の男は手紙を書いた時点では、もしかしたら真実を告白し、その閉所暗所趣味から脱却し本気で佳子に会おうとしたのかもしれない。つまり第二の手紙でのタネ晴らしは、人間椅子の男の覚醒が未だならず、誤魔化しためかもしれないではないか。その場合の後日談では、証拠の発見後の佳子は前者と比べられないほどの精神的衝撃を受け、発狂しそうになることだろう。

 もし臭いという弱点さえ克服できれば完璧かも、とも私は冗談にもつかずに考える、屋根裏の散歩と並んで、ちと変態的にも思われるかもしれないが、単なる遊戯で勘弁するから実現してみたい乱歩の世界的遊戯であるのは否めないからだ。遊戯なら臭いの弱点も勿論無しだ。もちろんドッキリカメラ的遊戯、つまりいわゆる事後報告によるものでなくては、興が大幅に落ちてしまうだろうが・・・・・・。その通りにやれば遊戯的には興味深い遊戯だ。

 おっといけない、話がまたもズレ気味だ。そういうわけでつまらないが、現実的に考えると臭いという弱点はある、しかし手紙で恐慌状態に陥らせ、実際に椅子に生活すること無しでそれとなくちょっとした生活の跡らしき証拠を残せば、それは恐るべき復讐要件には有効ではないだろうか。これならば人間椅子の男の精神分析は無視することになるが、家宅侵入罪程度で狂的精神崩壊事件も狂夢の世界だけのことではない・・・・・・かも。

 とにかく私ごときがもうこれ以上長々と言うまでもないことであり、もはや私では脱線話しか出来ない。、ということで、突然に当たり前の結論に走る、とどのつまり『人間椅子』は乱歩小説の文学的頂点の一角なのだ。
(2001年1月6日 アイナット生)

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