真実究明掲示板

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52 黒手組について
投稿者 ヤヤコ 投稿日 2001年12月13日23時59分
はじめまして。ヤヤコといいます。
もしかして常識なのかもしれないんですけど、
乱歩の「黒手組」は何と読めばいいんですか?
「くろてぐみ」なんでしょうか。
皆さん色々論じている中で変な質問ですが、
よろしくお願いします。
気になって仕方ありません。


Re: 黒手組について
投稿者 アイナット - 2001年12月17日23時41分
ふつうに、ヤヤコさんの思われてるとおりの「くろてぐみ」だと思うのですが?
他にどういう候補があるのでしょうか?無理やり考えてみるに
1.コクテグミ
2.コクシュグミ
3.クロシュグミ
4.クロテクミ
以下省略。って所なんでしょうか?
しかしいや意外にも「コクシュソ」とかだったりするんでしょうか(汗)。とは言え、「双生児(フタゴ)」の例もありますし、「新青年」の初出のタイトルルビで今度一応確認しておきます。

Re: 黒手組について
投稿者 ヤヤコ - 2001年12月18日01時40分
お返事ありがとうございます。
「くろてぐみ」が読んでみて一番しっくりくる気がしますね。
そして、知らなかったんですが、
「双生児」は「ふたご」と読むんですか?!
これは普通に「そうせいじ」と読んでいました……。
『新青年』の初出のタイトルルビは、どこで調べられるものなんですか?
普通の図書館などで見られるのでしょうか。
なんだかお手を煩わせているようで、恐縮なので、
自分で調べられるなら、と思いまして。
それでは、失礼します。

復刻版
投稿者 アイナット - 2001年12月20日00時24分
県立図書館クラスの図書館or大学図書館になら、あるいは「新青年復刻版」が入っているかもしれません。まずインターネットの蔵書検索で調べてみるのがいいと思います。
ちなみに私の方は来年に調べる事になりそうです。昨日うっかり忘れておりましたゆえに。
それと「双生児」は「ふたご」と読むのが、少なくとも初出的には正しいようです。これは創元推理文庫版でも確認出来ます。ちなみに私個人的には「ソウセイジ」と読みたいんですが(笑)

Re: 黒手組について
投稿者 705 - 2002年4月29日21時54分
 これは絶対に「くろてぐみ」です。
なぜ高校生になりたての私がこんなに自信を持って言えるかというと、中学の図書室にその本があったからです。読み仮名も振っていました。もしかしてとっくに解決してたらすいません。思い出せば小・中学校生活、昼休みには毎日のように図書室に行って本(乱歩の)ばっかり読んでいました。けど、友達とはそういうネタの話がしたくてもできなかったので、今このページを見れてとぉーっても嬉しいです。
 あぁー、もっと早くこれを知ってたら!
まあ、そういうことでこれからもよろしくお願いします。
51 卒論で
投稿者 丸井 投稿日 2001年10月30日12時27分
江戸川乱歩をやっているものです。
ご協力ください!
どなたか、「探偵小説四十年」の出版年月日(日までです)を
ご存知の方はおられませんか?



Re: 卒論で
投稿者 アイナット - 2001年12月17日23時34分
(汗)。一月半も前のようで、申し訳有りません。
しかも更に申し訳ないですが、初刊本は未所持ですので、お役に立てないようです。そろそろ提出期限ですよね。(汗)。
50 列車の中で奇譚を聞かされる話
投稿者 よろりん 投稿日 2001年10月27日23時34分
国書刊行会版「とむらい機関車」を読んだのですが、
巻末、鮎哲氏による解説にこうありました。
『列車の上で邂逅した見知らぬ人から奇譚を聞かされるというパターンは、江戸川乱歩氏の「押し絵と旅する男」あたりから始ったもので、大阪氏の頃は普遍的な手法になっていたのではないか』(引用)

「列車の上で邂逅した見知らぬ人から奇譚を聞かされる」、
このようなパターンの小説、何か知っていたらお教え下さい。


Re: 列車の中で奇譚を聞かされる話
投稿者 桔梗 - 2001年10月27日23時51分
アガサ・クリスティ著「四人目の男」

新潮文庫「青い壺の謎」におさめられています。

Re: 列車の中で奇譚を聞かされる話
投稿者 源三郎 - 2001年10月28日21時47分
お初です。
京極夏彦の「魍魎の匣」なんかも最初の辺りが似てますよ。

Re: 列車の中で奇譚を聞かされる話
投稿者 松村武 - 2001年10月29日11時06分
鮎川氏には何ですが、この手の話は、乱歩「押絵が…」以前からポピュラーな手法だったと思います。
僕が知る限りでは、このパターンは、芥川龍之介「西郷隆盛」(大正6年)が一番古いのではないかと思います。確か、学生が寝台車の中で会った人物と日本史に関する議論を始め、「西郷隆盛生存説なんてバカバカしい」と言ったところ、その人物から「実は、私の連れが西郷隆盛なのだ。ウソだと思ったら、そこの寝台を覗いてみろ」と言われ、学生が覗いたところ・・・、というような話だったと思います。
因みに、西南戦争で死んだ筈の西郷隆盛が逃げ延びて生存している、という説は明治時代に良くあったそうで、「来月、西郷隆盛が帰国か!?」なんてガセネタ記事が新聞に載ったこともあるそうです。
あと、長編の中の一挿話ということであれば、かの夏目漱石「三四郎」(明治41年)の冒頭の章、上京する三四郎が名古屋で一泊し、更に東海道を東京へ向う辺りの話なんかも出来が良くて面白いですね。これより古い小説になると、もう見当もつきませんが・・・。

ご返答感謝します
投稿者 よろりん - 2001年10月29日23時28分
桔梗さん、源三郎さん、松村武さん、ありがとうございます。
で、源三郎さん初めまして。
「魍魎の匣」ですか・・・。京極氏の作品はいつか読もうと思って、「うぶめ(漢字忘れました/汗)の夏」はもう買ってあるのですが、なにぶん厚いもので・・・。いつか読みますが、まだまだ手が出ないな(^^;。
クリスティさんにもあるのですね。これは図書館等で探してみます。
「西郷隆盛」とは全然知りませんでした。『実は生きている』というネタ(?)は、昔からあるのですね、勉強になります。

それにしても、皆さんに挙げて貰ったものに「探偵小説」がないですね。やはり「押絵・・・」と比べられてしまうから、探偵作家の皆さんはこの手法は使わなかったのですかね。

Re: 列車の中で奇譚を聞かされる話
投稿者 黄光明 - 2001年11月6日23時43分
列車の中で奇譚と言うのとは少し違うかも知れませんが、乱歩作品では、「指環」があります。また、「ぺてん師と空気男」でも、空気男野間が、列車の中で奇妙なひもを口に咥えていた伊東錬太郎に出会って、奇譚ならぬプラクティカルジョークの世界にはまり込んでしまいます。
西村京太郎の傑作短編「愛と死の飯田線」では、列車の中で愛が芽生えてしまいます。飯田線で出会った若い男女のラブ・ストーリーのような展開になるのかと思いきや、結末は実に悲しいです。しかしそれを具体的に言ってしまうこと自体とりもなおさずネタばらしになっちゃうからなぁ〜。

Re: 列車の中で奇譚を聞かされる話
投稿者 よろりん - 2001年11月7日00時09分
返答どうも、黄光明さん。
「指環」「ぺてん師と空気男」は読んでおります。
「ぺてん師・・・」は結構好きな作品です。
西村京太郎氏のは、知らなかったです。
49 本格
投稿者 桔梗 投稿日 2001年10月7日01時07分
純粋な「本格」推理・探偵小説というのは厳密にどういうものを指すのでしょうか。
「本格」の作品を読めば「本格」とは感じるのですが、書いてみる立場になってみると「純粋な本格」というのが未だわかり兼ねます。
無学な私にどなたか教えて頂けないでしょうか…お願いします。


Re: 本格
投稿者 よろりん - 2001年10月9日00時30分
最近の「新本格」についてなら、島田荘司さんが
「本格ミステリー宣言」「本格ミステリー宣言U」(講談社文庫)
綾辻行人さんとの共著で「本格ミステリー館」(角川文庫)
を出していますが・・・。どれも読んだことがないです。
お力になれなくて済みません。

Re: 本格
投稿者 アイナット - 2001年10月10日01時01分
本格というのは、私は何らかのミステリやパズルを論理的に解明していき、読者に解決可能なフェアプレイならば、どのような形式でも本格になり得ると思います。

詳しくはヴァン・ダインとか甲賀三郎の評論をば(汗)

Re: 本格
投稿者 桔梗 - 2001年10月10日06時48分
とても参考になりました。ありがとうございました。

>よろりんさん
早速読んでみます。ご紹介くださって助かりました。

>アイナットさん
証拠などを読者の目の前に示すような形でしょうか。
レーンの言う「パズルのピース」を用意することが必要ってことですよね。
評論も読んでみます。
48 現代的意味?
投稿者 たかつ 投稿日 2001年9月27日01時53分
助けてほしいんです〜お願いします。
文学ってものが本来普遍性を追究するものなんで、なかなか現代に即応する話題は見つけにくいんですが、江戸川乱歩についての現代的意味というのをどうしても提出したいんです。
怪奇幻想に絞って書きたいんですがどうしたらいいんでしょう?
誰か助けてください。お願いします。


Re: 現代的意味?
投稿者 松村武 - 2001年9月27日12時14分
「江戸川乱歩についての現代的意味」ですか・・・。これは難しい問題ですね。拙いですが、以下のようなことが考えられると思います。但し怪奇幻想のみには絞れませんでしたので了承下さい。

乱歩が作品を発表し始めた当時の日本、特に東京は、現代に通じる大都会が形成される端緒についた頃で、急速な人口増加と都市化が進んでいた訳ですが、その中で乱歩の小説は、「都市化による犯罪の匿名性」、即ち、ムラ社会でのイザコザとか長年の恨みとか先祖代々の仇討ちなどといった動機とは全く違う、人間関係の希薄化による「異常犯罪」を追及しました。これは当時の近代都市社会で、まさに起こりつつあることでしたが、乱歩は更に個人的な嗜好(覗き趣味、厭世癖、ユートピア願望など)へと惑溺してしまい(そうでなかったら、単なる「大正時代の社会派」作家でしかなかった筈)、その作品は当時の社会から非常に突出したものになってしまいました。それを世間は「残虐なエロ・グロ」と評価したのですが、現代になってみればどうでしょうか?ことに最近の犯罪や世相は、非常に「乱歩」的な様相があるのでは?と思います。

例えば「屋根裏の散歩者」。犯人の郷田三郎が殺人を犯した動機は何だったかというと、別に深い恨みがある訳でもなく、要するに、何となく気に入らない相手を殺してしまうというものです。しかも、種々雑多な人間が集まる下宿屋で、そこで出会うまでは全くの赤の他人だった相手を。当時の読者は、気に入らないだけで相手を殺してしまうこの作品を読んで、非常に得体の知れない不気味なものを感じた筈です。でも現代の我々はそうは思いませんよね。そんな犯罪は良く起きているからです。

「D坂の殺人事件」だって、現代だったら「SMプレイに熱中して相手が死亡」(笑)などと、新聞の片隅に、笑い話半分の埋め草記事になってしまう話です。でも当時は、そこに非常に隠微なもの、即ち「姦通罪への恐怖」が背景にあった訳です。「性的な趣味が合わないなら離婚すれば良いだろ」とはいかない訳で(当時、妻の側には離婚申し立ての権利は原則としてなかった筈)、敏感な乱歩は「法律で性的な嗜好を縛るから、追い詰められて犯罪が起きるのだ」と見越していたのですね。これは、「覆面の舞踏者」「お勢登場」でも追及されています。
そして乱歩の見越したとおり、戦後「姦通罪」は廃され、曲がりなりにも「性的に完全な自由」は保障されました。だから今、「D坂」や「お勢」を読んでも「別れちゃえば?そんなに深刻になる話じゃないだろ?」と思う訳で、「覆面の・・・」に至っては「何を悩んでいるんだ?手前勝手な男だなあ」と、男の側からですら思えてしまいます。

その他「人間椅子」「鏡地獄」「人でなしの恋」も、当時の乱歩は社会に背を向けて、自分だけの嗜好と夢想に従って書いたものですが、これらの作品に出てくる人物は、現代では別に珍しくもないですよね。特に、社会から背を向けた所謂「引きこもり」現象など、70年以上も前から、乱歩の作品世界では日常茶飯事でした(笑)。

以上に挙げた作品は、それぞれ当時の社会状況に影響されてはいるものの、そこから更に一歩、乱歩の個人的嗜好へと踏み込んだものになっています。
つまり結論として、乱歩は、自らの余りに鋭敏な感覚と独特の嗜好に耽溺し、当時の社会状況から逃避して自分だけの夢想を追及した結果、逆に、時代と共に古びてゆく社会や世相から自由でいられ、また、追及したテーマが余りに個人的な嗜好であったことが逆に、いつの時代の個人にも共通する「人間の闇の部分」に感応し、いつまでも新しい読者を獲得し続けるのだと思います。この辺りに「乱歩の現代的意味」があるのではないでしょうか?
特に現代に至って、乱歩の予言が怖いほど当たっている部分が多いことは上記で例に挙げたとおりですね。ただ、大正末期・昭和初期の不景気で、戦争の足音が遠くから聞こえてきながら、刹那的で享楽的だった世相と、現代のまさに今この時期が、僕には不気味に重なってみえるのですが・・・。

Re: 現代的意味?
投稿者 たかつ - 2001年9月27日13時47分
なるほど、すごーい!
確かに乱歩の世界って今起きてることをだいたい予言してしまってますよね。
(文学の現代的意味とは予言にあると聞いたことがあります)
乱歩の書く「人間の闇の部分」がいつの時代の個人にも共通する「根源」にあることが結果的に現代をいいあてる事になるんですね。
現代的意味なんて無理だなと思ってましたが、こんなふうに明確に書くことができるんですね。
松村武さんありがとうございました。
本当に助かりました。
47 暗黒星
投稿者 ほたる 投稿日 2001年9月10日00時58分
「暗黒星」にでてくる伊氏田家の老婆の存在は
いったいどういうものだったのでしょうか。
最後のほうで明智が書生に「きみ、このドアの前でね、ご老人の見張りをしていてくれたまえ。少しのあいだ、地下室のできごとをご老人に知らせたくないのだ。もしへやを出られるようなことがあったら、後をつけてあちらの僕たちのいる部屋へ来られないように計らってくれたまえ。そして、もしなにかかわったことがあったら、すぐぼくに知らせるんだ。わかったかね」と老婆を疑い深く見ているのに、結局最後は一郎の犯罪をあばいて、老婆については触れることなく終りました。だからこの箇所は物語の上でなにも意味をなさないと思うのですか、老婆はなにか事件に関係していたのでしょうか?


Re: 暗黒星
投稿者 黄光明 - 2001年9月15日16時43分
<一郎の犯罪をあばいて、>等とは、未読の方も考慮して、こう言うネタバラシ的書き込みは避けるのが礼儀ですよ。しかし、書いてしまったものは仕方がない。老婆はハッキリ言って事件とは無関係です。しかし老婆が無意味と言う訳ではありません。それなりに存在意義があります。それは、一郎君と老婆との犯人襲撃度の比率を対比させる上での意義がありますし、前半では神がかりの奇怪なばばぁを登場させることで怪しげな雰囲気をかもし出し、読者にひょっとしてこのばばぁが犯人かあるいは犯人の一味かとか思わせることで、一種のダミー的な存在価値がありました。
大体探偵小説と言う物は、一見無意味に見える表現にも、実は重大なキーがあったなどと言うのはよくあるパターンですよ。
46 四十面相の脱獄法
投稿者 えす 投稿日 2001年9月7日12時13分
江戸川乱歩の作品はトリックにはほとんど種明かしがあるのですが
少年探偵団ものの「怪奇四十面相」で四十面相がとらえられて脱獄
するくだりにはありません。四十面相は「アルセーヌルパンの脱獄」で使ったと同じトリックを使ったことを示唆しているのですが」どなたか種明かししてください。


Re: 四十面相の脱獄法
投稿者 黄光明 - 2001年9月15日16時53分
それは「アルセーヌルパンの脱獄」を読むのが手っ取り早いと思います。考えられるのは、二十面相が牢獄の中で「俺は二十面相じゃない!替え玉なんだ!」と連日叫び、あまりに喚く二十面相を黙らせるために看守が二十面相の牢に入った際、二十面相が看守を組み伏せ、自分が看守に化けて、看守を二十面相に仕立てて脱獄するパターンです。すると二十面相の格好をした看守は「俺は二十面相ではない!」と本当の事を叫ぶのですが、看守達は「またか。」と言って取り合わないと言うパターンです。もっとも、これは「ルパン三世」でも使われていたネタですが、結構古典的なトリックなのでしょう。あるいは同様のパターンで、飲まず食わずを続けて、痩せて人相が違ってしまい、警察も「これは別人だ」と考えて釈放されると言うのもありました。

Re: 四十面相の脱獄法
投稿者 地下室の道化師 - 2002年4月28日00時13分
すいません。初心者です。はじめて掲示板にカキコするんですが、本名を薬師台推理小説協会会長地下室の道化師といいます。そんなことは置いといて、
四十面相の脱獄法ですが私が推理するにあれって四十面相の部下が明智に化けて、牢獄のなかで2人が入れ替わったんじゃないですかね?(にせ?)明智が看守達のこと退けてたし。そのあとニセ?明智を小林少年が尾行してお前が四十面相だ!みたいなこといってたし。何か間違いがあればご指摘お願いします。
45 もう一人の乱歩について
投稿者 あむくん 投稿日 2001年7月29日20時34分
はじめまして。お恥ずかしい話ですが最近このページのことを知りまして、以前から疑問に思っていたことをみなさんに解決してもらいたく、投稿いたしました。
というのは、大岡昇平の「江戸川乱歩の詩」と、森銑三の「今一人の江戸川亂歩」に登場する、辻村義介のことです。
森銑三によれば、辻村義介は森の編集する雑誌にポーの『鐘楼の悪魔』を訳出しています。これを平井江戸川乱歩が読んだことは考えられるでしょうか。また辻村義介と平井江戸川乱歩が知己であった可能性はありますでしょうか。何分辻村義介については調べようもなく、平井乱歩と辻村乱歩の接触の可能性があったか否か、知りとう存じます。辻村の経歴などに詳しい方がおりましたら、お教え願います。
 実はもうひとつ質問があります。私は新青年初出の『押繪と旅する男』のコピーを持っています。これと初めて単行本になった際の同作品の異同を調べたいと考えていますが、現在同作品の最初に単行本化された版を読むことが出来るでしょうか。これも併せてお教え願います。よろしく。


Re: もう一人の乱歩について
投稿者 アイナット - 2001年7月30日01時44分
あむくんさん初めまして。
で、答えられる範囲で答えると、前者は全くわかりませんので遠慮するとして、後者は有名な乱歩サイト《名張人外境》の江戸川乱歩著目録を参照させて頂くと、昭和5年6月の新潮社「大衆文学集第三集」が最初のようです。(二番目は平凡社全集・第三巻?)当然ながら、現行本では読めないでしょう。ちなみに春陽・覆刻の「心理試験」と新青年の「心理試験」には随分違い所もあるので、恐らく「押絵」にしても少なからず異同箇所はあるような気がしますが、全く私にはお手上げです。

アイナットさんありがとうございます
投稿者 あむくん - 2001年7月30日21時20分
 早速のレスありがとうございます。
 ぼくは平凡社版全集が多分一番最初のものだと思っていたので、やっぱりここに書き込んでよかった! 大規模な図書館に行く機会はあまりないので、国書刊行会版で比べてみようと思っていたのでした。新潮社の大衆文学全集って、あの青くて厚い本かな。トライしてみます。
 前者の質問に関して、言葉足らずの箇所があったので、補っておきます。森銑三「今一人の江戸川亂歩」は『森銑三著作集』第十二巻に所収、大岡昇平「江戸川乱歩の詩」は『大岡昇平全集第二十一巻』所収です。目白台のD塾にいた辻村が、江戸川沿いで酒に酔い、D塾までの坂(D坂ではないよ)を登れなくなったので、江戸川乱歩というあだ名を頂戴し、その名前で詩を発表している(乱歩のデヴュ以前)のです。この人物がわれらの乱歩と古い知己だったら面白いと思っての質問です。よろしく。

Re: もう一人の乱歩について
投稿者 よろりん - 2001年8月2日00時04分
そういえば、「乱歩は2人いた」という話をどこかで読んだような気がします、今思い出しました。乱歩の贋作はもう1人の乱歩が書いていたのではないか?、しかし「乱歩」が既に有名であったことから乱歩が2人いたとは考えられない。
以上のようなのを見たことがありますが、乱歩デヴュー以前に既に乱歩がいたんですか? 初耳でして(私は初心者ですから)返答は出来ませんが、私も気になります。

Re: もう一人の乱歩について
投稿者 松村武 - 2001年8月2日14時28分
1年以上も前に、掲示板に書いたことの再掲に近いですが、松村喜雄「乱歩おじさん」(晶文社刊)の「代作問題について」の章に出てくる、辻村義介に関する情報は下記のとおりです(但し、松村喜雄の文章も、大岡昇平や森銑三からの引き写しかも知れないので、既にご存知でしたらご勘弁下さい)。

辻村義介は、ポオの短編の翻訳などをする傍ら、大正十年頃、「エポック」という雑誌に評論「間島方面の宣伝戦一斑」、詩「アインシュタインの頌」を「江戸川乱歩」の筆名で発表しており、名前の由来は、彼が或る時、江戸川橋(江戸川橋は文京区辺りの神田川に架かる橋で、川の江戸川とは無関係です)で泥酔して動けなくなり、それを聞いた荻原恭平(後に早稲田大学教授。英文学の大家です)が、「ポー好きの辻村が江戸川橋で乱れたから江戸川乱歩だ」と名づけたとか。
いずれにせよ、辻村の下宿や江戸川橋の位置、萩原教授との関係から、この一件には早稲田大学が絡んでいるのではないかと思います。辻村が早大生だったか否かは不明ですが、乱歩は早大卒ですから、早大がらみで辻村と乱歩が知り合う可能性も十分あり得るとは思いますが、この点は不明です。しかし大正十年に、既に他人により「江戸川乱歩」の筆名が使われていた、というのは驚きですね。
なお辻村は、この後、尼港事件(ロシア革命によるシベリア出兵に絡んで、大正9年、ロシア沿海州・尼港(ニコライエフスク)で起きた、日本軍守備隊、住民の虐殺事件)の後処理で、通訳としてニコライエフスクに行っていますが、その後の消息は不明です。

ありがとうございました
投稿者 あむくん - 2001年8月3日21時53分
 よろりんさん、松村武さん、ありがとうございます。やっぱり現在書物の中で調べられる以上のことはなかなかわかりませんね。乱歩の大学在籍中の名簿を参照するとか、そういうことをしなければなかなか発掘作業は進まないのだと改めて感じました。ぼくは辻村の「その後」にも興味があります。これを読んだ全国の辻村さん達から情報がたくさん寄せられるとよいのですが(これは夢)。
 ぼくは乱歩に関して、いくつか(同じような)質問をかかえています。たとえば、張ホテルの写真を持っているひとはいませんか、とか、乱歩と芥川龍之介の接点を菊池寛や直木三十五を研究していらっしゃる方から教えてもらいたいとか、そんなものばかりです。おこられちゃいますね。またその内にこの掲示板に頼ることになると思いますが、その節はよろしく。

Re: もう一人の乱歩について
投稿者 桔梗 - 2001年8月5日20時00分
ここに書き込むのは初めてなのですが、失礼して。
乱歩氏と芥川氏の接点というのは、例えば『指輪』と『蜜柑』といった繋がりなのでしょうか?
(見当外れだったらすみません)

Re: 芥川と乱歩の接点
投稿者 松村武 - 2001年8月6日13時06分
芥川「蜜柑」と乱歩「指環」!!確かに似ていますね。両者とも列車内が舞台で、小道具としてミカンが使われていますものね。

ところで、あむくんさんがお尋ねの、芥川と乱歩の接点如何?とのことですが、作風、作品での影響という意味なのか、芥川と乱歩その人との交遊如何なのか分からないのですが、両人同士の交遊、文通等は無かったと思います。あれば「探偵小説四十年」他のエッセイで触れている筈ですから。作品、作風への影響という意味での接点ならば、これは谷崎潤一郎や佐藤春夫、宇野浩二ほどではありませんが、かなりの影響を乱歩は受けていると思いますね。
例えば、「妙な話」はドッペルゲンガーを扱った怪奇小説、「影」も同趣向(ただ、この作品の唐突なオチには、「あの芥川が!?」と大笑いしてしまいました)ですが、ともに乱歩の「双生児」他、「一人二役」テーマの諸編に影響を与えていると思います。あと「沼」は、僅か2、3ページの小品ですが、「火星の運河」と同じ美学が生きていますね。芥川のミステリと言えば、「藪の中」や「開化の殺人」の世評が高いですが、「藪の中」的なミステリを乱歩が書かなかったのは不思議。
いずれにせよ、芥川の技巧的な短編にはE・A・ポオやA・ビアスの影響が顕著ですから、単に素材以外にも、乱歩は芥川からも、かなりの影響を受けていることと思います。
僕に分かるのは、この程度ですが…。

一寸法師つながり?
投稿者 あむくん - 2001年8月8日20時19分
 桔梗さん、松村武さん、またまた舌足らず&レス遅れました。お許し下さいませ。さて、私の疑問(というよりはむしろ夢想に近いか)の焦点は、実は映画に関することでした。大正末から昭和初めにかけての文壇及び探偵文壇を襲った映画熱のようなものに関して、です。私にはこの時期乱歩と芥川が接する状況は、ギリギリのところで揃っていたように思えるのです。それでそれ以上の情報を……ということでした。ではその状況を簡単に記します。
1 芥川龍之介には映画の脚本が二作あります。『誘惑』『浅草公園』(それぞれ昭和二年三月七日、十四日脱稿)です。これは『歯車』の直前の作品で、作者の最晩年の作品といえます。川本三郎は『映画の幻想性に惹かれて〜芥川と映画』の中で、これら二作は「あらかじめ映画化を想定したものではないが」と書いていますが、私の調べる限り、これは実証されないと思われます。むしろ連合映畫芸術家協会のための作品だと私は想像しています。そして特に『浅草公園』では、乱歩と同じ、あの浅草を舞台に(一寸法師も登場します)子捨ての物語が、奇妙で幻想的なイメージをふんだんに盛り込んで語られて行きます。
2 (時間が前後しますが)連合映畫芸術家協会とは、菊池寛と直木三十五が中心になった映画制作会社です(菊地と芥川の交友はみなさんもご存知でしょう)。この会社は全部で十一作の映画を制作し、破産しました。監督には、この内二作に衣笠貞之介が起用されています。また映画の原作には、菊池、岡本綺堂、横光利一、久米正雄、三上於菟吉、そして江戸川乱歩の小説が使用されています。
3 乱歩原作の映画とは『一寸法師』です。日本映画大鑑によれば、「連合映畫芸術協会制作、原作江戸川亂歩、監督志波西果、脚本直木三十五、主演石井漠、昭和二年三月封切り予定」とあります。
4 連合映畫芸術家協会で二作品の監督をした衣笠貞之介とは、新感覚派映畫連盟を横光利一、川端康成、岸田国士、片岡鉄平らと共に興し、映画『狂った一頁』を撮った監督ですが、最初の企画では片岡の主張により乱歩の『屋根裏の散歩者』『踊る一寸法師』の映画化を企図し、乱歩からも了承を取り付けています(探偵小説四十年にも記載があったはずです)。蛇足ですが、衣笠が『屋根裏』と『踊る』をあきらめたのは、検閲を通りそうもないこと、もうひとつは大正天皇と葦原将軍をまじかに見たからだそうです。
5 これらの人物達の周辺でも、例えば新感覚派と知己であった稲垣足穂が『習作〜佐藤春夫氏「海辺の望樓にて」の一部分』と題する映画脚本を同じ時期に書いています(新しい全集に収録されるでしょうか)。
6 さて、以上に記しましたようにこれらの人々は、この時期、映画に関して密接な関係にあり、同時期に映画の脚本を書いているのです。錯綜しそうなのでまとめると……、
大正十五年から昭和二年にかけてこれらの小説家たちによって書かれた脚本(残っているもの)
岸田国士 『ゼンマイの戯れ』
川端康成 『狂った一頁』
稲垣足穂 『習作〜佐藤春夫氏「海辺の望樓にて」の一部分』
芥川龍之介 『誘惑』『浅草公園』
同時期に連合映畫芸術家協会と新感覚派映畫連盟によって撮影された映画
衣笠貞之介監督『狂った一頁』(次回作は『踊る一寸法師』予定でした)
志波西果監督『一寸法師』
 というわけです。上記のうち、芥川作品以外はすべて証言やら資料やらでそれらの関連がわかります。ところが芥川の作品に関してだけは、といった状況なのです。菊池寛からの依頼があったかどうかさえ定かではありません。もうまるで吾妻橋を渡って中之郷に逃げ込んだ一寸法師のようです。というわけで、芥川の一寸法師を、誰か私立探偵さん、追いかけて!と思い、ここに書き込んだわけなのです。
7 さて、最後にこれはちょっと関係ないですけど、芥川の『妖婆』って面白いとぼくは思うのですがどうでしょう。怪奇小説と言われてますけど。ホフマンの『マドモワゼル・ド・スキュデリー』(鴎外の訳で言えば『玉を抱いて罪あり』です。また谷崎潤一郎の『月の囁き』及び大泉黒石の『血と霊』の扮本とされています)を、大正の本所両国に移したような作品で、でも雰囲気は江戸の市井なんです。乱歩と比較したら、同じ東京を描いても、芥川は江戸人、乱歩は東京人と言えるような気がするのですが……。

Re: 芥川と乱歩の接点
投稿者 松村武 - 2001年8月9日13時33分
あむくんさん、素晴らしい博覧強記振りですね。
ご主旨は分かりました。特に役に立つ情報はなくて恐縮ですが、こちらで分かった点を幾つか。
@芥川「浅草公園」には、確か「或シナリオ」と副題が付されていますね。川本三郎「大正幻影」にも「これは毛頭、映画化を意図したものではない」と断定的に書かれていましたが、如何なのでしょうか?確かに、父親にはぐれた少年を主人公に、浅草の雑踏や街並みをカメラ的な感覚で描写してゆき、興味深いものがありますね。昭和2年、「一寸法師」にインスパイアされて、という推測も大変面白いのですが、芥川にとっては、乱歩の存在如何に拘わらず、幼時以来の大川端や浅草の風景は親しいものだったのでは?
A衣笠貞之助が「狂った一頁」を撮ったのは、映画「日輪」の原作者である横光利一から川端康成を紹介され、二人で「サーカスを舞台に老人を主人公とした映画」を撮る積りだったところ、衣笠が神奈川・葉山に住む横光を訪ねた折、御用邸にて「さる高貴なお方」を見てショックを受け、更に松沢の精神病院を訪ね、精神病院を舞台とした映画を撮ることに決定した、という経緯のようです(なお松沢で蘆原将軍に面会できたという確証はないのでは?彼のことだから、気さくに時事放談にでも応じたかも知れませんが)。蛇足ながら「狂った一頁」、僕はテレビの日本映画特集番組で、ほんのダイジェストでしか見ていないのですが、これは凄い作品ですよね。
Bホフマン”Fraulein Scuderi”の訳「玉を懐いて罪あり」は明治22年、讀賣新聞紙上に訳載されていますが、これは鴎外と三木竹二の共訳ですね。僕は改造社の世界大衆文学全集「ポー、ホフマン集」(昭和4年)の「スキュデリ嬢の秘密」で読みましたが、芥川「妖婆」との関連には気付きませんでした。

余りお役に立てなくて済みません。

Re: もう一人の乱歩について
投稿者 あむくん - 2001年8月10日22時44分
 またまた松村武さん、ありがとうございます。随分お世話になりました。私は別段芥川ばかり読んでいる訳ではありませんが、東京を描いた作家に興味があるのです。ですから芥川や乱歩、日影丈吉などは興味の中心にあり、反対に吉行淳之介などは地名をぼかして書くのであまり愛することができません。古い地図を片手に乱歩作品、例えば『蜘蛛男』などを読み、蜘蛛男のアジトはどこなのかなあなどと考えたりするのが好きなのです(これは余談ですが、中井英夫が『孤独すぎる怪人』の中で乱歩の『蜘蛛男』の地名が現実の地名と喰違っていると述べていますが、実はこれは中井が間違っていて、乱歩は正しい地名をイニシャルで書いただけだということにも気付いています。アジトは現在の千代田区一番町、半蔵門線永井坂駅近くですね)。そうしてゆくゆくは乱歩作品の旧蹟を辿るなんてことをしてみたいのです。作品に影響を与えるゲニウス・ロキ(地霊)に触れられれば、と思うのです(私は東京在住です)。
 さてもう一点気付いたことを申し上げます。衣笠貞之介『わが映画の青春』(中公新書)に、衣笠は世田谷の松沢病院で蘆原将軍より「支那の国司法大臣」に任命されたという記述があります。実際に面会できたのかもしれませんね。
 というわけで、今後ともよろしく!
44 化人幻戯の疑問
投稿者 堤 花代 投稿日 2001年6月11日01時27分
 冒頭の方で、旦那は、明智と面識がないと言っていましたが、中盤あたり(武彦を誘惑する直前、角川ホラー文庫ではP94)で、奥さんは「私、このうちで一度明智さんと会いました。そん時は主人と話していたので、あたしはご挨拶ばかりでしたが、もう一度会いたいですわ」とかなんとか言い、そのちょっとあとの地の文(明智が、トリックを解明してみせる直前、同上P126)では、「夫婦は明智と初対面であった」とかいう説明が出てくる・・・。矛盾していると思いませんか。
 奥さんは、嘘をついたのだろうか。しかしそれにしても、事件には全く関係のない嘘のように思えるので、何故そんなことを言う必要があったのかわからぬ。武彦にやきもちやかせる為の手段? 武彦は、奥さんが言ったことをおかしいとは思わなかったのか? 結局さいごまでその矛盾についてはふれられぬまま・・・。乱歩のミスなんでしょうか。それとも私の読解力不足なんでしょうか。誰か知っていたら教えて下さい。


Re: 化人幻戯の疑問
投稿者 アイナット - 2001年6月13日23時48分
とりあえず、随分前に再読したきり矛盾系の疑問は頭に残っていませんので、また再読してみないことには何とも言えませんが、もしかしたら所謂単なる論理の破綻している部分かもしれませんね。乱歩長篇では結構ありそうです。研究の意味では面白い分野ですよね。

とりあえず解答になっていない単なる見解を。

驚異!角川版底本は変だ
投稿者 アイナット - 2001年7月22日23時25分
講談社文庫で再読しましたが、「私、このうちで一度明智さんと会いました」という文章って、どこの章にあるんでしょう?「浴室痴戯」には、「わたし、明智さんに一度お会いしてみたいと思いますわ」と言うセリフならありますが?

と思って、角川ホラー文庫版の底本の角川文庫版で確かめてみると、ホントだ。講談社文庫版と明らかにセリフが違いますね。角川版では確かに圧倒的な矛盾です。講談社版では修正されているようです。角川文庫版の底本って一体・・・・・・・?桃源社版でないっぽいですね。

Re: 化人幻戯の疑問
投稿者 大江十二階 - 2001年7月23日01時52分
すごい、発見ですね。
「化人幻戯」の初連載時「別冊宝石 江戸川乱歩還暦記念号」の文章が、後半と辻褄が合うように変更されていることは、(私は、この本を持っていながら、第一回目のオフ会でE・キングさんに指摘されて初めて気が付いた次第です。)創元推理文庫の江戸川乱歩集の解説に書かれていることなので、周知のことかも知れませんが、堤花代さんの指摘は初耳でした。
しかも、アイナットさんの調べで、講談社文庫(乱歩推理文庫でしょうか?)では、「わたし、あの方にはこのうちで、いちどお会いしてます。」というセリフが削除されていたとは、驚きです。
私は講談社文庫のほうは持っていないのですが、昭和44、45年の講談社の乱歩全集版で確かめてみたところ、そのセリフは削除されてませんでした! 同じ講談社でも底本が違うんでしょうか?
ちなみに、桃源社版を底本にした創元推理文庫の江戸川乱歩集では、同じく削除されてませんでした。

>大江十二階さん
投稿者 アイナット - 2001年7月23日23時44分
そうです。江戸川乱歩推理文庫の「化人幻戯」です。しかしこうなると、底本が怪しいのはこの講談推理文庫の方になりそうですね。やはり推理文庫、《初出時の原文のまま収録した》とラストに書いてあるのは、少年物ばかりでなく青年物も詐欺臭いです・・・・・・。

講談推理文庫の由美子のセリフ
「明智さん何を考えていらっしゃるのでしょうね。わたし、明智さんに一度お会いしてみたいと思いますわ」

角川文庫の由美子のセリフ
「明智さん何を考えていらっしゃるのでしょうね。わたし、あの方にはこのうちで、いちどお会いしてます。でも旦那さまとお話していらっしゃったので、わたしはごあいさつしたばかりです。わたし、明智さんにもう一度お会いしてみたいと思いますわ」

創元版も、講談全集(S40)も、角川(ホラー)文庫版も、後者(角川版)と同様とすると、やはり怪しいのは講談推理文庫。ヴァリアント文庫は、講談推理文庫版という結論になりますね。

Re: 化人幻戯の疑問
投稿者 よろりん - 2001年7月24日00時31分
私は角川ホラー文庫で読んだのですが、堤さんの感じたような齟齬は感じませんでした(^^;。
なるほど、講談社の江戸川乱歩文庫が変えられているのですね。
またもや大発見ですね。
43 「押絵と旅する男」のタイトル
投稿者 松村武 投稿日 2001年6月6日10時30分
バカバカしい質問で恐縮ですが、ふと気になってしまいました。それは「押絵と旅する男」のタイトルです。このタイトルに使われている助詞「と」は、英語で言うと「and」なのか、或いは「with」なのかということです。要するに「押絵&旅する男」なのか「旅する男with押絵」なのかということです。多分、後者だと思うのですが、正しい答えをご存知の方がありましたら、宜しくお願いします。

Re: 「押絵と旅する男」のタイトル
投稿者 アイナット - 2001年6月12日00時42分
タトル商会の英語版では、"THE TRAVELER WITH THE PASTED RAG PICTURE"ですので、「旅する男with押絵」が乱歩の見解だと思います。
それに、上記の英語版を無視して、もしandだと考えると、「押絵、そして旅する男」で自然に読めるはずなのに、この並列関係もなにやら無理があるような気がします。ということで、やはり松村さんの有力な考えのとおり、with説が妥当だと思います。

Re: 「押絵と旅する男」のタイトル
投稿者 松村武 - 2001年6月12日13時57分
アイナットさん、有難うございます。
そうですね、タトル商会の英訳版に当たれば一目瞭然でした。
それにしても、「押絵」の英訳が、PASTED RAG PICTUREだとは・・・。外人には何のことか分かるのだろうか?

Re: 「押絵と旅する男」のタイトル
投稿者 よろりん - 2001年6月15日02時11分
この質問には誰も解答できないのでは?、と思っていましたが
まさかそんな手があったとは。
凄いですねえ、アイナットさん。
あと、そんなこと(汗)に気付く松村さんが凄い。
42 阿部恒郎について教えてください
投稿者 BIRD 投稿日 2001年5月31日02時24分
「苦楽」大正15年7月号に「幽霊刑事」を発表した阿部恒郎について、プロフィールなどを知りたく思っています。ご存じの方は、ぜひご教示ください。
どうぞよろしくお願いいたします。


Re: 阿部恒郎について教えてください
投稿者 アイナット - 2001年6月1日01時23分
一応人名辞典などで今日調べてみましたが、全く見当たりませんでした。
阿部恒治やら、阿部恒雄やらはいたのですが。
恐ろしく名前が並んでいる大正の人名辞典、昭和初期の人名辞典でも未発見。
これは誰かの異名だったりするかも、ですね?

>アイナット
投稿者 BIRD - 2001年6月1日21時41分
どうもありがとうございます。お手数をかけ申し訳ありません。お詫び代わりにネタばらししますと、この阿部恒郎と同一人物と思われる阿部恒郎が、大正15年に西洋将棋(チェス)の入門書を出版しておりまして(共著)、僕の興味はこちらサイドからのものです。
>これは誰かの異名だったりするかも、ですね?
!!・・・「異名辞典」なんてないですよね(笑)。

Re: 阿部恒郎について教えてください
投稿者 アイナット - 2001年6月2日00時37分
西洋将棋でしたか・・・、
しかし「幽霊刑事」一体どんな探偵小説なんでしょうか。
全く探偵文壇で話題に上った事なさげですが(^^;

とにかく、「新青年」大正14、大正15、昭和2には登場していません。
推理できるのは、「苦楽」だから、大阪か?というくらいでしょうか。

>アイナット
投稿者 BIRD - 2001年6月2日16時30分
>しかし「幽霊刑事」一体どんな探偵小説なんでしょうか。
B級なタイトルではありますよね。ぜひ一読したいのですが、国会図書館にはあるのでしょうか?

>「苦楽」だから、大阪か?というくらいでしょうか。
はい、先の将棋棋士も大阪の人なので、関西方面の作家(?)だったんだろうなって思ってます。

一応
投稿者 アイナット - 2001年6月2日23時51分
ところで、私を呼び捨てにされていますが、このサイトの掲示板では如何なる場合も、敬称付きで書き込んでください。なぜかいうと、管理人[わたし]が決めた所謂お約束だからです。まともに言うと、自然的に知らず知らずに少しずつ荒れていくのを防ぐため。

って、自分に対してのものにいちいち書くのもちょっと間抜けですね。(笑)


で、「幽霊刑事」をE級タイトルとか言うと、全国多数の有栖川有栖ファンを敵に回すので、止めた方がいいと思います。(笑)
「苦楽」が国会図書館にあるかは知りませんが、一応昭和初期の有名な部類の大衆雑誌なので、あってもいいと思いますよね。「女性」のように復刻版が出てくれれば早いのでしょうが。

>アイナットさま
投稿者 BIRD - 2001年6月3日10時34分
敬称の件、了解。たいへん失礼しました。逆に僕の方は敬称不要でやってきたということで、ご理解ください。
有栖川有栖の作品は知っています。あの時代ではB級系かな?というニュアンスでした。ファンの皆さまにはご理解いただきたく。赤川次郎の処女作は「幽霊列車」だったか・・。
国会図書館に仕事で行く機会があるので、折を見て調べてきますー。
41 妖怪博士
投稿者 ほたる 投稿日 2001年5月24日18時03分
妖怪博士にでてくる奥多摩のN鍾乳洞とは日原鍾乳洞のことなんでしょうか。だとしたら近いので今度行ってみたいです。

no title
投稿者 アイナット - 2001年5月31日03時50分
何やら質問というより、自己内解決しているようですね。私は未調査ですが、Nがそこしかないのなら、最有力な候補地なのでしょうね。

Re: 妖怪博士
投稿者 玉村 妙子 - 2001年7月4日13時01分

今は観光洞ではなくなってしまったKという洞窟もあるのですが、
(入り口に江戸時代の古銭が落ちている)Nといえば「日原鍾乳洞」でしょう。ここは公開部分が200メートルくらいなので規模は小さいそうですが、暑い夏に行ったら良いでしょう!