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投稿時間:02/12/21(Sat) 01:55
投稿者名:アイナット
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タイトル:(「屋根裏」と「人間椅子」ネタバレ含む)「屋根裏の散歩者」は純粋怪奇小説として発表された方が傑作だった?
甲賀三郎は、その探偵小説講話上第三講第一節で、 "探偵小説の重要な約束として、探偵小説は飽くまでリアルでなくてはならぬ" と述べ、その後、乱歩の「屋根裏の散歩者」を(本格)探偵小説ではないと述べています。つまりはあくまで優れたるは屋根裏徘徊描写であって、あの殺人部分は欠点そのものであると。(あくまでショートストーリー[怪奇小説]としては"傑作"と述べているのは言うまでもありません。)

明智小五郎も絡んだこの屋根裏の散歩者が仕組んだ奇怪な殺人事件ですが、どこがリアルで無いから、いわば茶番なのか、本格探偵小説大失格なのか、その点を無くしては納得出来ないかと思うので、長くなりますが、その部分を以下に全文引用します。
------引用はじめ-------------------------------------------------------
(前略)
「屋根裏の散歩者」では、天井の穴から下に眠っている人間の開いている口に、毒液を垂らして、毒殺する件があるが、あれは絶対に不可能時である。。
 第一、天井の穴の恰度下に、眠った人間の開いた口があるという事も、容易に起り得ない事であるが、之は可能時であることに疑いない。
 第二、天井からの第一滴が――場合によっては二滴目かも知れない――寝ている人間の唇にふれた瞬間に、彼は横を向いて終う。之は寝ている動物が生命の危害を免がれるべく、反射作用として与えられたものである。疑う人があったら、寝ている人間について、実験して見給え、彼は手で振り払うか、口を背向けるに極っている。「屋根裏の散歩者」の場合には、少しでも横を向かれるか、口を塞がれたら、それっきりなのである。
 第三、仮りに数滴の毒薬が口の中に這入ったとしても、彼は絶対に嚥下しない。之は東京府下に実際にあった事件で、睡眠中の夫に毒薬を呑まそうとして、出来なかった事件があった。睡眠中にムニャムニャものを食ったり、呑んだりしては、生命の危険があるから、やはり動物に付与された生命擁護術であろう。
 第四、仮りに睡眠中の人間が、天井から垂らされた毒液を嚥下したとしても、彼は死なない。何故ならそれが一滴で生命の危険を来す猛毒なら格別、「屋根裏の散歩者」には明らかに塩酸モルヒネと書いてある。所が塩酸モルヒネは冷水には溶け悪いもので、その飽和溶液でも、致死量には恐らく数十滴を要すると思う。(この事については正確な事はいえない。塩酸モルヒネの致死量は一同少なくとも〇・二グラム以上――極量〇・一グラムより推定――であろうし、〇・二グラムの塩酸モルヒネを溶かすには最少五C・C・を要し、一滴〇・二C・C・として十滴である)
(後略)
------引用おわり(出典・「ぷろふいる」昭和十年五月号)--------------

甲賀は、この引用部をもってリアルでない、絶対不可能殺人の論拠というのです。絶対不可能を、まるで可能のように書くのは本格探偵小説にとっては致命的欠点であると言うのです。つまりはこの点、種も仕掛けもあるはずの本格トリックでなく、論理無き変格的殺人事件(=原因不明の怪奇現象・怪談の類)に過ぎないと言っているというわけです。

そう考えてみれば、乱歩作品群に於ける「屋根裏の散歩者」(大正14年8月)の役割は「二銭銅貨」「一枚の切符」「D坂の殺人事件」「心理試験」「夢遊病者の死」とデビューから大正14年7月まで続いていた本格探偵小説志向の延長ではなく、「人間椅子」「火星の運河」「鏡地獄」「芋虫」「押絵と旅する男」等へと続く怪奇幻想小説志向のスタートであると考える事が出来ます。
そういえば、甲賀とは全く対照的な、非本格探偵小説の名手・夢野久作も「屋根裏の散歩者」を評して前半は最高だが、明智が出しゃばって以降は最低の出来の様な事を言っていたように思います。つまりは本格・変格両サイドから、「屋根裏の散歩者」は純変格として書かれれば、更なる傑作になったものを、と惜しまれているわけです。

ちなみに私自身も、以前より「屋根裏の散歩者」は本格というより、「人間椅子」の効果に近い身近な怪奇を描いた作品であると解しています。人間椅子の怪異の主役たる肘掛け椅子の場合は、当時の庶民は持たない場合も多いだろうし、自身の恐怖や不安としてはピンと来ない読者も多かったのではないかと思いますが、屋根裏こそは恐らく当時の読者は何とはない奇妙な不安に襲われたのではないでしょうか? 確かに「屋根裏の散歩者」が殺人事件解決で終了せずに、「人間椅子」よろしくのオチで終わったとしても、その身近な恐怖の感覚はより一層増したに違いありません。絶対有り得ない殺人という結末はその読み手に迫り来る効果を半減させてしまい、怪奇小説としての力を、「人間椅子」のオチネタとも比較にならぬくらい、殺いでしまったと結論するわけです。

ここで怪奇小説としての傑作に成り得た考え方から、方向転換して、「屋根裏の散歩者」が本格探偵小説としての傑作に成り得たとして捉えてみます。この場合、もしも不可能だという毒薬ではなく、直接の撲殺などによる密室殺人で探偵小説のトリックを構成していたら、どうでしょうか? こうなると、この屋根裏という盲点は本格探偵小説でいう不可能犯罪を構成しうります。甲賀の言う絶対不可能事項は全て消滅するでしょう。むろんタイトルは変更せねばならないですが、密室殺人物の本格探偵小説としての体裁は整い、美事な作品になったに違いないでしょう。しかしです。こうなると、先に言ったように「屋根裏の散歩者」という魅力的なタイトルは使えぬですし、何よりも屋根裏散歩描写の奇妙な感じを全く行かせなくなります。これでは現在のような口端に上る傑作の地位を得なかった可能性も有りうるでしょう。やはり本格物を構成する場合も、屋根裏の怪奇を生かすなら倒叙探偵小説しかあり得ないのかも知れません。しかし毒殺を直接撲殺に変更しても、短篇では中途半端な感は拭えません。更に不可能とは言え毒殺のスリルが、生々しい撲殺に変わる分、ますます中途半端さが目立つような気もします。この問題点を克服し、やはり一級の怪奇身と一級の本格身を折衷するには陰獣のように中篇以上にする必要があったでしょう。

で、我が結論としても、結局は甲賀三郎、夢野久作と同様になります。すなわちこの分量以内でやる以上「屋根裏の散歩者」は屋根裏徘徊テーマの怪奇小説が主であり、探偵小説としての殺人トリックは蛇足であったと。もしその怪奇テーマに特化した物であれば、より評価が高まったであろうと。


追記というか、甲賀へのツッコミ。
当時は自作他作の探偵や怪盗たちの変装術にリアルさは、認められたのだろうか?