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☆−(「屋根裏」と「人間椅子」ネタバレ含む)「屋根裏の散歩者」は純粋怪奇小説として... - アイナット 02/12/21(Sat) 01:55 No.29
    └Re: (「屋根裏」と「人間椅子」ネタバレ含む)「屋根裏の散歩者」は純粋怪奇小説と... - 黄光明 02/12/21(Sat) 19:45 No.32
    └あくまで個人的意見ですが - ななこ 02/12/21(Sat) 14:00 No.31
      └まとめてお返事です - アイナット 02/12/23(Mon) 02:19 No.34

投稿時間:02/12/21(Sat) 01:55
投稿者名:アイナット
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タイトル:(「屋根裏」と「人間椅子」ネタバレ含む)「屋根裏の散歩者」は純粋怪奇小説として発表された方が傑作だった?
甲賀三郎は、その探偵小説講話上第三講第一節で、 "探偵小説の重要な約束として、探偵小説は飽くまでリアルでなくてはならぬ" と述べ、その後、乱歩の「屋根裏の散歩者」を(本格)探偵小説ではないと述べています。つまりはあくまで優れたるは屋根裏徘徊描写であって、あの殺人部分は欠点そのものであると。(あくまでショートストーリー[怪奇小説]としては"傑作"と述べているのは言うまでもありません。)

明智小五郎も絡んだこの屋根裏の散歩者が仕組んだ奇怪な殺人事件ですが、どこがリアルで無いから、いわば茶番なのか、本格探偵小説大失格なのか、その点を無くしては納得出来ないかと思うので、長くなりますが、その部分を以下に全文引用します。
------引用はじめ-------------------------------------------------------
(前略)
「屋根裏の散歩者」では、天井の穴から下に眠っている人間の開いている口に、毒液を垂らして、毒殺する件があるが、あれは絶対に不可能時である。。
 第一、天井の穴の恰度下に、眠った人間の開いた口があるという事も、容易に起り得ない事であるが、之は可能時であることに疑いない。
 第二、天井からの第一滴が――場合によっては二滴目かも知れない――寝ている人間の唇にふれた瞬間に、彼は横を向いて終う。之は寝ている動物が生命の危害を免がれるべく、反射作用として与えられたものである。疑う人があったら、寝ている人間について、実験して見給え、彼は手で振り払うか、口を背向けるに極っている。「屋根裏の散歩者」の場合には、少しでも横を向かれるか、口を塞がれたら、それっきりなのである。
 第三、仮りに数滴の毒薬が口の中に這入ったとしても、彼は絶対に嚥下しない。之は東京府下に実際にあった事件で、睡眠中の夫に毒薬を呑まそうとして、出来なかった事件があった。睡眠中にムニャムニャものを食ったり、呑んだりしては、生命の危険があるから、やはり動物に付与された生命擁護術であろう。
 第四、仮りに睡眠中の人間が、天井から垂らされた毒液を嚥下したとしても、彼は死なない。何故ならそれが一滴で生命の危険を来す猛毒なら格別、「屋根裏の散歩者」には明らかに塩酸モルヒネと書いてある。所が塩酸モルヒネは冷水には溶け悪いもので、その飽和溶液でも、致死量には恐らく数十滴を要すると思う。(この事については正確な事はいえない。塩酸モルヒネの致死量は一同少なくとも〇・二グラム以上――極量〇・一グラムより推定――であろうし、〇・二グラムの塩酸モルヒネを溶かすには最少五C・C・を要し、一滴〇・二C・C・として十滴である)
(後略)
------引用おわり(出典・「ぷろふいる」昭和十年五月号)--------------

甲賀は、この引用部をもってリアルでない、絶対不可能殺人の論拠というのです。絶対不可能を、まるで可能のように書くのは本格探偵小説にとっては致命的欠点であると言うのです。つまりはこの点、種も仕掛けもあるはずの本格トリックでなく、論理無き変格的殺人事件(=原因不明の怪奇現象・怪談の類)に過ぎないと言っているというわけです。

そう考えてみれば、乱歩作品群に於ける「屋根裏の散歩者」(大正14年8月)の役割は「二銭銅貨」「一枚の切符」「D坂の殺人事件」「心理試験」「夢遊病者の死」とデビューから大正14年7月まで続いていた本格探偵小説志向の延長ではなく、「人間椅子」「火星の運河」「鏡地獄」「芋虫」「押絵と旅する男」等へと続く怪奇幻想小説志向のスタートであると考える事が出来ます。
そういえば、甲賀とは全く対照的な、非本格探偵小説の名手・夢野久作も「屋根裏の散歩者」を評して前半は最高だが、明智が出しゃばって以降は最低の出来の様な事を言っていたように思います。つまりは本格・変格両サイドから、「屋根裏の散歩者」は純変格として書かれれば、更なる傑作になったものを、と惜しまれているわけです。

ちなみに私自身も、以前より「屋根裏の散歩者」は本格というより、「人間椅子」の効果に近い身近な怪奇を描いた作品であると解しています。人間椅子の怪異の主役たる肘掛け椅子の場合は、当時の庶民は持たない場合も多いだろうし、自身の恐怖や不安としてはピンと来ない読者も多かったのではないかと思いますが、屋根裏こそは恐らく当時の読者は何とはない奇妙な不安に襲われたのではないでしょうか? 確かに「屋根裏の散歩者」が殺人事件解決で終了せずに、「人間椅子」よろしくのオチで終わったとしても、その身近な恐怖の感覚はより一層増したに違いありません。絶対有り得ない殺人という結末はその読み手に迫り来る効果を半減させてしまい、怪奇小説としての力を、「人間椅子」のオチネタとも比較にならぬくらい、殺いでしまったと結論するわけです。

ここで怪奇小説としての傑作に成り得た考え方から、方向転換して、「屋根裏の散歩者」が本格探偵小説としての傑作に成り得たとして捉えてみます。この場合、もしも不可能だという毒薬ではなく、直接の撲殺などによる密室殺人で探偵小説のトリックを構成していたら、どうでしょうか? こうなると、この屋根裏という盲点は本格探偵小説でいう不可能犯罪を構成しうります。甲賀の言う絶対不可能事項は全て消滅するでしょう。むろんタイトルは変更せねばならないですが、密室殺人物の本格探偵小説としての体裁は整い、美事な作品になったに違いないでしょう。しかしです。こうなると、先に言ったように「屋根裏の散歩者」という魅力的なタイトルは使えぬですし、何よりも屋根裏散歩描写の奇妙な感じを全く行かせなくなります。これでは現在のような口端に上る傑作の地位を得なかった可能性も有りうるでしょう。やはり本格物を構成する場合も、屋根裏の怪奇を生かすなら倒叙探偵小説しかあり得ないのかも知れません。しかし毒殺を直接撲殺に変更しても、短篇では中途半端な感は拭えません。更に不可能とは言え毒殺のスリルが、生々しい撲殺に変わる分、ますます中途半端さが目立つような気もします。この問題点を克服し、やはり一級の怪奇身と一級の本格身を折衷するには陰獣のように中篇以上にする必要があったでしょう。

で、我が結論としても、結局は甲賀三郎、夢野久作と同様になります。すなわちこの分量以内でやる以上「屋根裏の散歩者」は屋根裏徘徊テーマの怪奇小説が主であり、探偵小説としての殺人トリックは蛇足であったと。もしその怪奇テーマに特化した物であれば、より評価が高まったであろうと。


追記というか、甲賀へのツッコミ。
当時は自作他作の探偵や怪盗たちの変装術にリアルさは、認められたのだろうか?

投稿時間:02/12/21(Sat) 19:45
投稿者名:黄光明
Eメール:Brian_Wong@jp-t.ne.jp
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タイトル:Re: (「屋根裏」と「人間椅子」ネタバレ含む)「屋根裏の散歩者」は純粋怪奇小説として発表された方が傑作だった?
「屋根裏の散歩者」は、やはり倒叙形式の本格探偵小説であろう。確かに屋根裏徘徊と言う怪奇味はあるにしても、あくまで謎解きが主眼に置かれているからである。つまり、謎解きに主眼が置かれているから本格探偵小説なのであり、この際、犯罪の実行性のリアリズムなんて、畢竟どうでもいいのである。犯罪手口にリアリティが無いから本格探偵小説でなく、怪奇幻想小説だと分類されるならば、古今東西の探偵小説の大半は怪奇幻想小説になってしまうであろう。現実に海外ミステリーの殺人トリックにおいては、実際には使えないもの、それを知った時点で笑ってしまうようなばかばかしいものもあるにもかかわらず、そのトリックの現実性だけを捉えて、本格探偵小説でないと言うのは、少し暴言と言うものであろう。ただし、「屋根裏の散歩者」における明智小五郎は、この時点ではまだ探偵ではなく、いわゆる書生然とした高等遊民、今で言えばプータローだったので、探偵小説と言うよりは、推理小説と言った方がむしろ正しく、だとすれば、本格推理小説と言うのが最も妥当であろうと思われる。ただ、江戸川乱歩の小説は、自身が土蔵に閉じ篭って小説を書いてたと言うエピソードがあるように、そのコンセプトは限りなく変格怪奇幻想小説的な「幽閉」、「閉じ篭る」にあります。「屋根裏の散歩者」や「陰獣」に見られる屋根裏徘徊も、屋根裏に閉じ篭っているわけですし、そう言う観点から見れば、この二作品以外の「人間椅子」「鏡地獄」「押絵と旅する男」「芋虫」「妖蟲」「悪魔の紋章」「白髪鬼」「お勢登場」「幽霊塔」など、全て「幽閉」がコンセプトになっております。「人間椅子」「鏡地獄」「押絵と旅する男」「芋虫」「お勢登場」あたりは、確かに変格怪奇幻想小説ですが、。「屋根裏の散歩者」「陰獣」」「妖蟲」「悪魔の紋章」「白髪鬼」「幽霊塔」あたりは、変格的怪奇幻想小説的要素を含んだ本格探偵(推理)小説だと言えましょう。
つまりまとめると、江戸川乱歩の小説は、基本的に変格怪奇幻想小説と本格探偵小説、さらに両者の混合融合型の三つのタイプがあるといえましょう。そしてその作品のコンセプトは、大体「幽閉」が主であり、次に「盗視」、「変装」、「一人二役」、「武陵桃源郷の世界」などが挙げられましょう。

投稿時間:02/12/21(Sat) 14:00
投稿者名:ななこ
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タイトル:あくまで個人的意見ですが
>上記書き込み未記入のまま送信してしまいました。すみません。

改めて、書き込みします。
今まで、「屋根裏の散歩者」に限らず、乱歩の作品が本格が変格かという視点で読んだことがなかったのでよく分かりませんが、少なくとも私が読んだ限り「屋根裏の散歩者」は明智の明晰な推理の見事さより、犯人の異常な心理状態が犯罪に結びつくまでの経緯やその犯罪行為のほうが遥かに印象に残りました。読後、思わず自分の家の天井を見上げふと不安な気持ちに駆られたり、逆に自分が屋根裏に上がって知り合いの部屋を覗くところを想像して、イケナイ甘美な思いにドキドキしたりしたものです(笑)思うに乱歩自身も読者のそういう反応を予測してこの作品を書いたのでは?
毒殺の方法も確かに不可能ではあるけれど、子ども心には(これを読んだのは中学生くらいでしたので)十分リアリティのある殺人方法の様に思え、撲殺のように直接的な方法でない分自分のような非力な人間でも実行できなくはなさそうという気にさせられ、またそんな自分が薄気味悪く感じられました。そういう意味では、私の中ではこの作品は、自分の中の犯罪者的要素を刺激される犯罪幻想小説、すなわち「変格」物だと思っています。
先日のオフ会で、ある人に「女性としては、覗かれるのと覗くのではどちらの立場がいいですか?」という意味のことを尋ねられ、「私は覗く方がおもしろそうです!」と答えました。自分でも色気がない答えだとは思いましたが。

甲賀三郎は、その探偵小説講話上第三講第一節で、 "探偵小説の重要な約束として、探偵小説は飽くまでリアルでなくてはならぬ" と述べ、その後、乱歩の「屋根裏の散歩者」を(本格)探偵小説ではないと述べています。つまりはあくまで優れたるは屋根裏徘徊描写であって、あの殺人部分は欠点そのものであると。(あくまでショートストーリー[怪奇小説]としては"傑作"と述べているのは言うまでもありません。)
>
> 明智小五郎も絡んだこの屋根裏の散歩者が仕組んだ奇怪な殺人事件ですが、どこがリアルで無いから、いわば茶番なのか、本格探偵小説大失格なのか、その点を無くしては納得出来ないかと思うので、長くなりますが、その部分を以下に全文引用します。
> ------引用はじめ-------------------------------------------------------
> (前略)
> 「屋根裏の散歩者」では、天井の穴から下に眠っている人間の開いている口に、毒液を垂らして、毒殺する件があるが、あれは絶対に不可能時である。。
>  第一、天井の穴の恰度下に、眠った人間の開いた口があるという事も、容易に起り得ない事であるが、之は可能時であることに疑いない。
>  第二、天井からの第一滴が――場合によっては二滴目かも知れない――寝ている人間の唇にふれた瞬間に、彼は横を向いて終う。之は寝ている動物が生命の危害を免がれるべく、反射作用として与えられたものである。疑う人があったら、寝ている人間について、実験して見給え、彼は手で振り払うか、口を背向けるに極っている。「屋根裏の散歩者」の場合には、少しでも横を向かれるか、口を塞がれたら、それっきりなのである。
>  第三、仮りに数滴の毒薬が口の中に這入ったとしても、彼は絶対に嚥下しない。之は東京府下に実際にあった事件で、睡眠中の夫に毒薬を呑まそうとして、出来なかった事件があった。睡眠中にムニャムニャものを食ったり、呑んだりしては、生命の危険があるから、やはり動物に付与された生命擁護術であろう。
>  第四、仮りに睡眠中の人間が、天井から垂らされた毒液を嚥下したとしても、彼は死なない。何故ならそれが一滴で生命の危険を来す猛毒なら格別、「屋根裏の散歩者」には明らかに塩酸モルヒネと書いてある。所が塩酸モルヒネは冷水には溶け悪いもので、その飽和溶液でも、致死量には恐らく数十滴を要すると思う。(この事については正確な事はいえない。塩酸モルヒネの致死量は一同少なくとも〇・二グラム以上――極量〇・一グラムより推定――であろうし、〇・二グラムの塩酸モルヒネを溶かすには最少五C・C・を要し、一滴〇・二C・C・として十滴である)
> (後略)
> ------引用おわり(出典・「ぷろふいる」昭和十年五月号)--------------
>
> 甲賀は、この引用部をもってリアルでない、絶対不可能殺人の論拠というのです。絶対不可能を、まるで可能のように書くのは本格探偵小説にとっては致命的欠点であると言うのです。つまりはこの点、種も仕掛けもあるはずの本格トリックでなく、論理無き変格的殺人事件(=原因不明の怪奇現象・怪談の類)に過ぎないと言っているというわけです。
>
> そう考えてみれば、乱歩作品群に於ける「屋根裏の散歩者」(大正14年8月)の役割は「二銭銅貨」「一枚の切符」「D坂の殺人事件」「心理試験」「夢遊病者の死」とデビューから大正14年7月まで続いていた本格探偵小説志向の延長ではなく、「人間椅子」「火星の運河」「鏡地獄」「芋虫」「押絵と旅する男」等へと続く怪奇幻想小説志向のスタートであると考える事が出来ます。
> そういえば、甲賀とは全く対照的な、非本格探偵小説の名手・夢野久作も「屋根裏の散歩者」を評して前半は最高だが、明智が出しゃばって以降は最低の出来の様な事を言っていたように思います。つまりは本格・変格両サイドから、「屋根裏の散歩者」は純変格として書かれれば、更なる傑作になったものを、と惜しまれているわけです。
>
> ちなみに私自身も、以前より「屋根裏の散歩者」は本格というより、「人間椅子」の効果に近い身近な怪奇を描いた作品であると解しています。人間椅子の怪異の主役たる肘掛け椅子の場合は、当時の庶民は持たない場合も多いだろうし、自身の恐怖や不安としてはピンと来ない読者も多かったのではないかと思いますが、屋根裏こそは恐らく当時の読者は何とはない奇妙な不安に襲われたのではないでしょうか? 確かに「屋根裏の散歩者」が殺人事件解決で終了せずに、「人間椅子」よろしくのオチで終わったとしても、その身近な恐怖の感覚はより一層増したに違いありません。絶対有り得ない殺人という結末はその読み手に迫り来る効果を半減させてしまい、怪奇小説としての力を、「人間椅子」のオチネタとも比較にならぬくらい、殺いでしまったと結論するわけです。
>
> ここで怪奇小説としての傑作に成り得た考え方から、方向転換して、「屋根裏の散歩者」が本格探偵小説としての傑作に成り得たとして捉えてみます。この場合、もしも不可能だという毒薬ではなく、直接の撲殺などによる密室殺人で探偵小説のトリックを構成していたら、どうでしょうか? こうなると、この屋根裏という盲点は本格探偵小説でいう不可能犯罪を構成しうります。甲賀の言う絶対不可能事項は全て消滅するでしょう。むろんタイトルは変更せねばならないですが、密室殺人物の本格探偵小説としての体裁は整い、美事な作品になったに違いないでしょう。しかしです。こうなると、先に言ったように「屋根裏の散歩者」という魅力的なタイトルは使えぬですし、何よりも屋根裏散歩描写の奇妙な感じを全く行かせなくなります。これでは現在のような口端に上る傑作の地位を得なかった可能性も有りうるでしょう。やはり本格物を構成する場合も、屋根裏の怪奇を生かすなら倒叙探偵小説しかあり得ないのかも知れません。しかし毒殺を直接撲殺に変更しても、短篇では中途半端な感は拭えません。更に不可能とは言え毒殺のスリルが、生々しい撲殺に変わる分、ますます中途半端さが目立つような気もします。この問題点を克服し、やはり一級の怪奇身と一級の本格身を折衷するには陰獣のように中篇以上にする必要があったでしょう。
>
> で、我が結論としても、結局は甲賀三郎、夢野久作と同様になります。すなわちこの分量以内でやる以上「屋根裏の散歩者」は屋根裏徘徊テーマの怪奇小説が主であり、探偵小説としての殺人トリックは蛇足であったと。もしその怪奇テーマに特化した物であれば、より評価が高まったであろうと。
>
>
> 追記というか、甲賀へのツッコミ。
> 当時は自作他作の探偵や怪盗たちの変装術にリアルさは、認められたのだろうか?

投稿時間:02/12/23(Mon) 02:19
投稿者名:アイナット
Eメール:
URL :
タイトル:まとめてお返事です
 ご意見ありがとうございます。
 誰に何を返信するのが、まとまらずにゴッチャ煮状態の返信で申し訳ないのですが、とりあえず書いていきます。

>ななこさん
 そうですね。屋根裏から人の生活を覗いたら、どのように見えるのだろうと想像して楽しんだ事はありましたね。屋根裏のある家を訪れた時は、まず屋根裏の散歩を想像している自分を発見します。親戚の旧家、更には顔見知りの京都のお寺などもそうでしたし。乱歩ファンなら一度は体験してみたいのが屋根裏の散歩ですよね。
 犯罪心理の刺激というのもわかりますね。屋根裏から毒殺という点が、幻想怪奇の陰に隠れて意外にも殺害の簡単さを植え込むメリットもありそうです。私の言う直接的撲殺では、ノーマルな犯罪そのものに堕ちてしまい、確かに犯罪心理は刺激されませんし、それこそ屋根裏の散歩の犯罪幻想すらも低減させてしまうような気もしてきました。

>黄光明さん
 なるほど黄さんの言われるところはもっともですね。
 そして「屋根裏」も「陰獣」同様、謎解きが主である変格的本格探偵小説と言う事ですね。
 最終段、まとめについても納得行くところです。乱歩という人は本格も変格も超一流の才能を有し、更に胎内願望、変身願望、レンズ、パノラマ、人形・・・等などがその世界には必要不可欠でありますよね。それにそもそも乱歩の書く小説は、一応探偵小説や怪奇幻想小説に分類されていますが、誰にもマネする事は不可能ですから、厳密には、本格、変格の別はもちろん、探偵小説、幻想小説などのジャンルも越えて、乱歩小説という1ジャンルを新たに創世しなくては、一つに括る事は不可能でしょう。
 ただ一応盛り返しておくと、甲賀のいわんとするリアルというのは、あくまでも少なくとも万に一回は可能かも知れないという0.01%以上の最低限のリアルという意味(例えれば見間違うほど似ている人はいるかも知れない、など)で、社会派で言うリアルは当然の事、クロフツのリアリズムの探偵小説とも全くもって異なるものです。「屋根裏」はこの状態では万に一回すらも絶対不可能・実行成功率0.00%であるから(極端に絶対不可能を例えれば、論理的なSF説明もないままに普通の現代人が時間移動を使って歴史上の偉人を殺害する完全犯罪とかのまさに幻想殺人そのもの)、本格失格云々と述べているんですね。いわば「屋根裏の散歩者」はあくまで本格的味も含む変格探偵小説であると。そして本格味を除いた方が傑作になったのではないか、と言う事です。

>小笠原功雄さん
 甲賀の言うリアルのついては、黄さんへのレスの下段の通りです。犯罪に手間掛ける云々ではなくて、実現可能性が0か、非0かの問題です。もっともこんな事を考えるのも私の脳味噌がハッキリした答えを求める理系サイドに偏ってきているからかも知れませんが・・・。
 それと乱歩の構成破綻は連載長篇でよく見られた例であり、それはいちいち気にするような性質のものではないのですが、構想を最初から組み立てていたに違いない代表短篇「屋根裏の散歩者」はその例とは異なるような気もします。
殺人が本格だけのテーマでは無い旨は全くその通りで、生きとし生けるものにとっての最大のテーマの一つでしょう。究極の誘惑もその通りですね。屋根裏散歩願望は、ななこさんのレスで書いたように乱歩ファンならきっと一度は辿り着いたと思いますし、被害者側になりますが、高校生時分だったか私などもたまたま他家に行った時などで、屋根裏のある部屋で寝るとなった場合には、意識して口を閉じて寝ようと思った事が思い出されました。戦前の読者なども間違いなく何とも嫌ァな感じを持ったと思いますが、これは屋根裏に人間に覗かれているかも知れないと思うだけでも怖いのに、その猟奇者に殺されるかも知れないという恐怖が一層その嫌ァな感じを助長したに違いないですね。そう考えると、「変格探偵小説」上のこの殺人行為は、怪奇恐怖味を深めるのに必要不可欠だったというのも全く肯ける限りです。もっとも明智の本格的(あくまで「的」です)推理が必要だったかは別問題になりますが。


あと最後に戦前(二十面相も含む)の変装術について、否定するつもりは毛頭ございませんので誤解ないように。むしろ変装が必然の世界ならばの戦前探偵小説にしかない古き良きロマンスの一つであり、胸躍る長所でもあります。怪人と探偵が闊歩し、巧みな変装術を使って争闘する世界は憧れの的以外のなにものではありませんので。

ついでにもう一つ、私は「屋根裏の散歩者」、勝手に付けた数年前の乱歩変格ベスト5には入りませんでしたが、ベスト10には必ず入ると思います。つまり好きな作品です。読み返した数も乱歩小説の中でもトップクラスですね。この辺りも誤解無きようにつけ加えておきます。